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第I部 「無条件勝利」を目指すアメリカ
第1章 ブッシュ政権の戦略
1. 米国の理想に向けて――大統領就任演説
●ジョージ・W・ブッシュ
 
 クリントン大統領、賓客の皆さん、そして国民の皆さん。平和な政権交代は、歴史においてはまれなことであるが、わが国においてはごく普通のことである。われわれは、簡潔な宣誓をもって、古くからの伝統を再確認すると共に、新たな始まりを印す。
 まず初めに、私はクリントン大統領のわが国への奉仕に感謝する。
 そして、ゴア副大統領の気迫にあふれる戦いと潔い引き際に感謝する。
 私は、これまでに数多くの米国の指導者が立ち、将来も数多くの指導者が後に続く、この場所に立つことを誇りに思い、また謙虚に受け止めている。
 われわれひとりひとりが皆、長編物語の中で演じる役割を持っている。果てしなく続くこの物語の結末をわれわれが見ることはない。それは、旧世界の友となり、旧世界を解放した新世界の物語である。それはまた、自由に奉仕する社会に変遷してきた奴隷社会の物語であり、支配ではなく保護のために、征服ではなく守護のために世界へ進出していった国の物語である。
 それは、アメリカン・ストーリーである。壮大で不朽な理想によって世代を超えて結束してきた、欠点もあれば過ちも犯す国民の物語である。
 
 わが国の理想の中で最も壮大なものは、すべての人に場所を与え、すべての人に機会を与え、生まれきたるすべての者に意義を与える、という米国の希望の実現である。
 米国国民は、生活においても法律においても、この希望の実現を求められている。そして、わが国は、時には立ち止まり、時には遅れることがあっても、その道を外れることは許されない。
 前世紀の大半を通じて、自由と民主主義に対する米国の信念は、荒れ狂う海の中の岩のような役割を果たしてきた。今、それは風に乗る種子となって、多くの国々に根を下ろそうとしている。
 わが国の民主主義への信念は、わが国の信条であるのみならず、われわれ人間が生まれながらにして持つ希望であり、所有するのではなく、推し進める理想であり、受けとめ、そして引き継いでいく信頼である。そして、二二五年近くたった今も、まだまだ長い旅が続いていく。
 国民の多くが繁栄を享受している一方で、米国の希望、そして正義についてすら疑問を抱く人もいる。国民の中には、問題のある学校のため、隠された偏見のため、あるいは生まれてきた周囲の環境のために、自分の希望を十分に遂げることが出来ないものもある。時には、国民の間の違いがあまりにも大きいために、同じ大陸に住む者同士がまるで国を異にするように見えることもある。
 われわれは、このような状況を受け入れることはできない。また、許すこともできない。わが国の結束と融合は、あらゆる世代にわたって、指導者そして国民が担う重要な任務である。私は、正義と機会のある、一つの国にまとめあげるために努力していくことを、ここに厳粛に誓う。
 私は、これが実現可能であることを知っている。なぜなら、われわれは、自らのお姿と同じようにわれわれを創り給うた、より大きな力に導かれているからだ。
 そして、われわれは、自分たちを結束させ、前進に導く原理に確信を抱いている。
 米国は、かつて一度も、血筋や出生、あるいは場所によって結束したことはない。わが国は、個々の経歴や利害を超えて、国民であることの意味を教えてくれるような理想によって結ばれている。子どもたちは皆、この原理を学ばなければならない。国民は皆、この原理を支持しなければならない。そして、米国への移民は皆、この理想を受け入れることによって、この国の米国らしさを希薄にすることなく、この国をより米国らしくしていくのである。
 今日、われわれは、礼儀と勇気と思いやりと徳性を通じて、わが国の希望を実現していくことを新たに確約する。
 米国は本来、礼儀に配慮を払いつつ原理への確約を果たす国である。礼節のある社会は、われわれひとりひとりに、善意と尊敬、そして公正な扱いと寛容を求める。
 平和の時代には、論争に左右される利害が些細なものに見えるため、狭量な政治的駆け引きを許してしまう人たちもいるようである。
 しかし、米国にとって利害が些細であることは決してない。自由という大義を主導する国は、わが国をおいて他にいない。子どもたちの心を知識や人格の形成に向けなければ、われわれは子どもたちの天資を失い、子どもたちの理想を傷つけることになる。米国経済を成り行きにまかせ、衰退することを許せば、最も苦しむのは弱者である。
 われわれは、自分たちが担う共通の使命を果たさなければならない。礼節は、戦術でもなければ、感傷でもない。それは、皮肉よりも信頼の、混沌よりも結束の、確固たる選択である。そして、この決意を守りつづけるならば、皆が共に成就する手段になるのだ。
 米国は本来、勇気のある国でもある。
 米国の勇気は、恐慌や戦争の時代に、共通の利益を共通の危険から守る際に、顕著に示されてきた。今、われわれは、父母の手本によって、鼓舞されるのか、あるいは、とがめられるのかを選択しなければならない。われわれは、問題を将来の世代に先送りせず、正面から取り組むことによって、この恵まれた時代に、勇気を示さなければならない。
 われわれは、無知と無関心がさらに多くの若い命を奪う前に、力を合わせて米国の学校を再生させる。
 社会保障制度と老人医療保険制度の改革を行い、われわれが防ぐことのできる苦難から子どもたちを守る。そして、減税によって、わが国の経済の勢いを取り戻し、働く国民の努力と企業心に報いる。
 弱さが挑戦を招くことのないよう、挑戦を凌駕する国防力を構築する。
 新たな世紀が新たな恐怖にさらされることのないよう、大量破壊兵器と対決する。
 自由に敵対し、わが国に敵対する者は、次のことを忘れてはならない。米国は引き続き、歴史に基づき、また自らの選択によって、世界に関与し、自由を促進するような力の均衡を形成していく。われわれは、同盟国を守り、米国の国益を守る。傲慢になることなく、決意を示していく。侵略や悪意に対しては、決意と力をもって対処する。そして、すべての国家に対して、わが国の建国以来の価値観を主張していく。
 米国は本来、思いやりのある国である。われわれは、ひそかながら米国国民の良心にかけて、根深くて根強い貧困がわが国の希望にふさわしくないことを知っている。
 そして、その原因についての意見は異なっていても、危険にさらされる子どもたちには罪がないという点で、意見の一致を見ることができる。子どもを放棄したり虐待したりする行為は、不可抗力ではなく、愛情の欠如である。
 また、刑務所の増設は、必要なことではあっても、私たちの心の中にある希望と秩序に代わるものではない。
 苦悩のあるところには、義務がある。助けを求めている米国の人々は、他人ではなく、わが国の国民である。彼らは厄介者ではなく、真っ先に手を差し伸べるべき国民である。希望を失った人たちがいれば、すべての国民が傷つく。
 政府には、市民の安全、公衆衛生、公民権、そして公立学校を確保する重大な責任がある。しかし、思いやりは、政府だけでなく国家全体の務めである。
 あまりに深い困窮や苦痛には、指導者の助けや牧師の祈りしか効果がないこともある。教会、慈善団体、ユダヤ教会、イスラム教の寺院などは、地域社会に慈悲をもたらすものであり、われわれの計画や法律の中で、尊重していかなければならない。
 多くの国民は、貧困の痛みを分からないが、われわれはその痛みを知る者の声に耳を傾けることができる。
 そして、わが国の目標が、エリコヘの道で出会った傷ついた旅人を避けて通ることのないものであることを、私は誓う。
 米国は本来、個人の責任を重んじ、期待する国である。
 責任を督励することは、他人に責任を転嫁することではなく、良心に呼びかけることである。それには犠牲が必要であるが、それはより深い達成感をもたらすものである。われわれは、人生の充実を、選択肢にだけではなく、責務にも見いだす。そしてわれわれは、子どもたちと地域社会が、われわれを自由にしてくれる責務であることに気づく。
 
 われわれの公益は、個人の人格、市民の義務、家族の絆と基本的な公正さ、そしてわれわれを自由に向けて導く無数の知られざる善行に依存している。
 
 われわれは、人生において、偉大な行為を求められることがある。しかし、現代のある聖人が語ったように、われわれは日々、大きな愛情をもって小さなことを成し遂げることを求められている。民主主義における最も重要な任務は、全員で成し遂げるものである。
 
 私は、礼節をもって自己の信念を貫き、勇気を持って公共の利益を追求し、より大きな正義と思いやりを提唱し、責任を求め、その実践に務める、という原則に従って生き、指導していく。
 これらすべての手段によって、私は、われわれの歴史の価値観を、この時代における問題の解決に当てはめていく。
 皆さんが行うことは、政府が行ういかなることとも同様に重要である。私は、皆さんが快適な生活に安住せずに共通の善行を追求すること、必要な改革を安易な攻撃から守ること、そしてまず隣人への奉仕を手始めに国家に奉仕することを願う。私は、皆さんが、傍観者ではなく国民であること、臣民ではなく国民であること、奉仕の社会と徳のある国家を築く、責任ある国民であることを、願っている。
 米国国民は寛大で、強く、礼儀正しい。それは、われわれが自らを信じるからではなく、われわれ自身を超越する信念を持っているからである。このような市民精神が欠如している場合には、どのような政府の計画もその穴を埋めることはできない。このような市民精神があれば、いかなる悪もそれに刃向かうことはできない。
 独立宣言の署名後、バージニア州の政治家、ジョン・ぺージは、トーマス・ジェファーソンヘの書簡にこう記した。「競争は必ずしも速い者が勝つのではなく、戦は必ずしも強い者が勝つのではないことをわれわれは知っている。天使が旋風を御し、この嵐を導いているとは思わないか。」
 
 ジェファーソン大統領の就任式以来長い年月が過ぎた。多くの歳月と変化が積もり積もっている。しかし、この日のテーマを彼も理解するだろう。それは、わが国の勇気の偉大な物語と、尊厳を求めるわが国の謙虚な夢である。
 この物語を書き上げるのはわれわれではない。自らの目的をもって時間と永遠とを満たす者が書き上げるのだ。しかし、その目的は、われわれの義務を通じて達成され、われわれの義務は相互の奉仕を通じて達成される。
 われわれは、飽くことなく、屈することなく、終わることなく、その目的を今日新たにする。それは、わが国をより公正、寛大にし、われわれの生命、あらゆる生命の尊厳を確認することである。
 
 この努力はこれからも続く。この物語はまだ続く。そして、これからも天使が旋風を御し、嵐を導く。
 
 すべての皆さんに、そして米国に、神のご加護を給わることを祈る。
 








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