資料4 「ガバナンス」と協働の概念
第2次世界大戦後の先進諸国における福祉国家の実現は、公共性の認定を官の側に委ねる傾向を有していた。これは、行政機関が決定し提供するサービスが公共サービスであるという観念を行政の側にもまた住民の側にも押しつけるものであった。ただ、このような観念は、福祉国家の実現によって初めて成立したものではなく、近代国家が成立する際に採用した代議制民主主義に内包される擬制であったことはいうまでもない。すなわち、市民社会を土台として成立する近代国家は、その中から選挙によって選出される代表者によって構成される議会および政府に自らの政治的権利を信託し、その信託を受けた議会・政府が公共の福祉の名の下に様々な政策決定・執行を行うこととなっており、市民社会の利害対立は、討議の場としての議会において調整され、そこで下された決定に従って政府がある政策を執行することとなっていた。したがって、公共サービスとは、まさにこの過程を経て政府によって提供されるサービスを意味する。このような統治形態およびそれに基づくサービス提供形態をここではガバメントと呼ぶこととする。
この統治構造は、市民社会の同質性もしくは市民社会の各構成要素を代表する政党が存在すること、換言すれば議会という討議の場で市民社会の利害調整が可能な条件が存在することが必要不可欠である。
このような統治構造は、福祉国家の実現という市民社会全体のある一定の総意が存在し、また実際に福祉国家が掲げるさまざまなサービスが提供されるまでの間は有効に機能したといってよい。ただし、経済成長に基づく福祉国家の実現は、その一方で公害や自然破壊など予期しない事態を発生させた。これに対して、その直接の影響を受けた住民は、議会が自らの意思を十分に代表していないとして、住民運動という形で議会・政府に対して自らの権利を主張していく運動を展開していくこととなる。さらに、この運動に触発されて、政府は議会とは別に市民社会の意思を政策に反映させる補完的仕組みとしての住民参加制度を導入していくこととなる。これは、ガバメントという統治構造自体を大幅に変更することなく住民参加という補完機能を組み込んだものといえよう。
したがって、この機能は、必ずしも政策決定過程のみを対象としているのではなく、政策サイクル全体をその対象としているのである。
しかし、1973年に先進諸国を襲った石油危機に伴う低成長時代の到来は、従来の市民社会の総意を打ち砕き、福祉国家の実現に代わる別の合意を成立させることなく、市民社会内部の対立を顕在化させるに至った。このような状況下で、討議の場としての議会は市民社会の利害調整を行う機能を相対的に低下させ、機能不全をきたすこととなった。
また、従来政府によって担われてきたと考えられてきた公共サービスも、必ずしも政府によって供給されてはいないという事実も明らかとなった。つまり、市民社会の揺らぎが生じたのと同時にガバメントの揺らぎがこの段階で生じたのである。
このような揺らぎの一方で、公共サービスを提供する新たな主体が勃興した。これが従来ボランティアと呼ばれていた市民活動団体(NPO)や利益追求のみを求めない企業である。このNPO・企業は、公共サービスの提供を担う団体として政府が行ってきたサービスを代替したり、補完したりする機能を持ち、従来政府の専任であると見なされてきた領域に進出することとなった。これには、低成長下で税収の減少に悩みこれまでのサービス水準を維持することが困難となった政府の側からの要請があったことは見逃すことができない。
さて、このような合意形成および公共サービスの提供における議会・政府の相対的地位の低下は、統治構造に対してもその変容を迫ることとなった。すなわち、代表制に基づく公共性の担い手である議会・政府と公共サービスの実質的担い手として台頭したNPO・企業が公共空間という領域において水平の位置に置かれ、それらアクター間のネットワークによってその空間管理がなされていくという考え方が従来のガバメントという統治構造に対して提起されることとなったのである。この考え方をここではガバナンスと呼ぶ。
このガバナンスは、統治もしくは協治と訳されている。ここで重要な点は、公共サービスの提供主体としてNPO・企業に対し議会・政府と同等の地位を与えていることにあり、これらのネットワークがこれまでの市民社会に代わる新しい市民社会を構築するとされることにある。この考えに基づけば、公共空間は常に変化してその形は一定ではないこととなろう。つまり、公共サービスの提供のみならず、合意形成においてもこの公共空間は形成されることとなる。
このようなガバナンスという統治構造においては、そのネットワークを形成する主体は対等であるという点は先に述べたが、このことから政府とNPO・企業との間の協働という概念が誕生する。そこで、現在この協働という用語が頻繁に使われるわけである。
政策サイクルは、一般に計画(Plan)‐執行(Do)‐評価(See)から成り立つとされるが、現在では計画(Plan)→実施・運営(Do)」→チェック・是正活動Check)→評価(Action)と細分化して見ることも多い。このいずれの過程においても、協働が成立することはいうまでもないことであるが、この場合、そのおのおのについてまた対象となる合意形成・提供サービスに応じて公共空間が構成されると考えると、そこでのアクターは必ずしも一定ではない。このことは、例えばある時はサービス提供の受け手側に属していた市民が、一転して別の場合にはサービスを供給する側に立つということを意味している。したがって、これまでサービス供給者は政府、サービス受給者は市民という構図はここでは崩れることになる。これは、議会・政府単独による公共空間管理から諸アクターの協働による公共空間管理への転換では当然のことである。つまり、これまで議会・政府に一任していた公共空間管理の責任を市民が負うことになるというのが、このガバナンスにおける協働の概念である。
ガバナンスという統治構造は、水平的な諸アクターのネットワークによって成立することは前述のとおりである。ただし、ここで問題となるのは、意思決定において誰がもしくはどのアクターが優位にあるのかという点である。水平的なネットワーク構造は、あるアクターの優位性を認めないことにその特徴がある。この特徴からすると意思決定において、どのアクターが正統性を有するのかが不明確になる傾向があり、結局意思決定ができないという状況が発生する危険性をはらんでいる。現在、制度的には代議制を採用している以上、議会・政府に最終的な決定権限が留保されていることに留意しながら、この統治構造における協働を考える必要があろう。