2 歴史的条件
鹿角市には、国指定特別史跡である大湯環状列石をはじめ、数多くの縄文時代の遺跡が存在し、約5〜6千年前からこの地に人々が住んでいたと推測されている。日本三代実録には「上津野」の古名で記述されており、現在の「鹿角」の地名の由来については、高い山から盆地を眺め渡すと、米代川に幾筋かの支流が流れ込む様が鹿の角のように見えたことから名付けられたとされている。台地の上には、中世の館跡など歴史文化遺産が数多く残されている。和銅年間に発見され、江戸時代の慶長から寛文年間にかけて最盛期を迎えた尾去沢鉱山は、それ以前の奥州藤原三代の栄華にも関係があったと伝えられ、当時の経済活動に大きな影響を与えたとされている。建武の中興の頃、南部氏が地頭職となり、明治維新まで南部藩領であったことから、古くから岩手県の盛岡地方、青森県の八戸地方との交流が盛んで、鉱山の繁栄を基盤として特有な文化を形成してきた。
※参考資料:鹿角市過疎地域自立促進計画(平成12年度 秋田県鹿角市)