日本財団 図書館


第4回(最終回)
「公開会議」
座長: 浜野 保樹氏 (東京大学大学院助教授)



ゲスト: 山田  宏氏 (東京都杉並区長)



パネリスト: 里中 満智子氏 (漫画家)



委員: 鷺巣 政安氏 (日本動画協会事務局運営委員)

西村 繁男氏 (「週刊少年ジャンプ」元編集長)

掛須 秀一氏 (「ジェイフィルム」代表取締役)

岸本 周平氏 (経済産業省商務情報政策局文化情報関連産業課長)

酒井 正幸氏 (東京都産業労働局商工部観光産業課長)

一般参加者
 
平成13年12月18日
 
日下 私ども東京財団では、人のやらないことをやろう、世界のため、日本のためになる新しいことをやろうという考えで、いろいろなことをしております。その中の一つに、マンガ・アニメーション・ゲームなどで、日本は国際競争力が抜群らしいということです。これから先も成長する。やがては日本の主力産業になるかどうかはさておき、考えるべきことがたくさんあるのではないかと思い、2年ほど前から振興策などについて取り組んでいます。このフォーラムはその一つです。
 東京都の石原慎太郎知事も賛成し、東京都としてもこの問題を考えようという広がりを見せています。またミャンマーに、日本のマンガ、アニメーションを国営テレビで放送してもらいたいので提供いたしましょうと申し出ましたら、ミャンマーの文部大臣が大変喜んで、画面の下にミャンマーの字幕を出し、日本語のままで放送することになりました。この1年間、土曜日の夜7時から放送したのは、「赤銅鈴之助」です。大変な評判を呼びまして、ミャンマーでは、小学校の子供たちが集まるとチャンバラの真似をするということです。真空斬りが、はやっているようです。仏教国ですから、この後は「一休さん」を提供しようかなと考えています。
 マンガ・アニメに目をつけたことは、意外な広がりを見せています。関係者の方々は、日ごろ言いたいこともあると思いますし、ご参加の皆さんも一緒に考えていただきたいというのが、この催しの主旨です。
浜野 東京財団に主催していただき、「マンガ・アニメーションを東京の顔に」という委員会を数回開きました。本日のメンバーは、アニメーション業界を代表して日本動画協会の鷺巣さん。アニメーションのデジタル化に関して掛須秀一さん。600万部という大部数を達成したマンガ誌「週刊少年ジャンプ」元編集長の西村さん。漫画家の里中満智子さん。今後、いろいろな側面からマンガ・アニメーションヘの支援が必要になっていますので、経済産業省の岸本さん、東京都の酒井さんに出席していただいています。
 これまでいろいろな議論をしましたが、海外の見方を知ろうと、ワーナー・アニメーション元副社長のケン・デュアーさんに来ていただき、日本のマンガ・アニメーションについてお話しいただきました。また、日本でマンガの振興やマンガ文化の育成に大変尽力されている里中先生から、アジアなどでのマンガの動きなどをお話しいただきました。
 多忙でなかなか出席できなかった杉並区の山田区長さんには、委員会で発言の機会がなかったので、本日は思い切りお話しいただこうと思います。
 マンガ・アニメーションは、私たちの大きな文化であり、産業です。少しデータを示しますと、コンテンツ産業市場は、放送が約2.5兆円、新聞も2.5兆円です。残念ながら、出版は右肩下がりで2.4兆円ぐらいの産業ですが、その中の5,000億円強がマンガです。これは映画とビデオを合わせた産業とほぼ匹敵するほどの大きな産業です。マンガを中心にキャラクターを生み出していますが、マンガが生み出すキャラクター産業自体が2兆円ありますので、いかに大きな産業かということが分かります。
 アニメーションは、試算で1,500億円市場といわれています。日本映画と洋画を足して映画産業は2,000億円ぐらいですから、テレビ・アニメーションとビデオ・アニメーションを足したアニメーションが大きな産業だと分かるわけです。特に、2001年は、「千と千尋の神隠し」という大ヒット作があって、現在、270億円ぐらいの売上げを達成してると思います。観客も2,000万人を超えました。日本映画の売上げは年間約2,000億円ですから、270億円はすごい数字です。1本のアニメ映画で日本映画の10%以上を稼いだことになります。アニメーションは大きな市場規模と国際競争力を持っています。
 先々週、私は、スウェーデン映画協会の招待で、デジタルシネマのカンファレンスに行きました。EUで年に3回、デジタルシネマのカンファレンスがあり、パリ、ロンドンのあとはスウェーデンで開催されました。私は、日本映画、デジタルシネマについて話してきました。スウェーデンは人口が900万以下の国で、人口では東京都よりも小さい。スウェーデンの人に、日本のアニメーションについて話を聞いたのですが、大変な人気があるそうです。ただ、スウェーデンの関係者は、若い人たちのほとんどが英語を話すので、英語でアニメを見てしまうことに危惧を持っていました。マンガでは、「ドラゴンボール」のスウェーデン語版が書店に平積みしてありましたが、他に日本のマンガはなかった。大手書店を回っても、マンガ自体が非常に少なかった。マンガ専門店に行ったら英語のマンガばかりです。スウェーデンには、日本の翻訳マンガは、「ドラゴンボール」しかないということでした。
 海外のマンガは、やはり子供中心のものしかないということです。翻訳されるアニメーションは、どうしてもディズニーものになる。そういうことで、文化に関心あるスウェーデンの人が、日本のアニメーションに理解があり、どんなにすごいかを知っているのですが、ビデオで見るしかない。それも英語で見てしまうということで、日本の流通が整備されていないことが分かりました。ただ、スウェーデンには映画の支援機関「スウェーデン映画協会」があります。行政のサポートがないと文化が守れないと感じました。
 マンガ・アニメーションは私達の資産で東京の地場産業ですので、東京の顔にしたいというのが念願です。そのことにいち早く着目し、大事な産業であり文化であることを提唱され、実践されようとしている杉並区の山田区長さんに、具体的な活動について、お話をお聞きします。
地場産業アニメ振興のきっかけをつくる
山田 杉並区とアニメーションの関わりをお話いたします。
 行政と、この柔らかい産業というか文化の分野とは、今まではほとんど接点がなかったと思います。私もほんの1年ぐらい前までは、ほとんど接点がありませんでした。日本全国にアニメのスタジオが300ほどありますが、杉並区内にそのうちの62スタジオがあります。つまり、約2割が杉並区に集中している。アニメのスタジオが東京に最も多く集中し、東京の中では杉並区に一番集中していることが分かりました。
 杉並区の人口は52万人です。都市としての産業施策を考えていく中で、杉並区も地場産業というか、産業政策を策定し、雇用、区民の所得などいろいろな面で対策をとらなければならない状況にありました。私の知人が、杉並区上井草でアニメ関係の仕事をしていて、1、2度スタジオにお邪魔したことがあります。そして、この辺は、アニメのスタジオがたくさん集まっているとお聞きしました。
 折しも、小渕・森首相の時代に「IT」が注目されていました。ITはハードとともに、ソフト分野も大切です。同時にソフトを利用するコンテンツ(情報の内容)分野も非常に関心を持たれていて、ブロードバンドは実現したが、コンテンツがないというようなことが言われていました。そういう中で、「そういえばアニメがあった」と思い、2000年の夏ぐらいに調べましたら、先ほどの数字が出てきました。初めてこの数字を見て、びっくり仰天、すごいと思いました。練馬に「東映アニメーション」、阿佐ヶ谷に「東京ムービー」という会社があります。また、手塚治虫の事務所が杉並区に近い練馬区にあります。いろいろな方々が杉並区や練馬区にスタジオをつくり、セル画を描いて、それをいろいろな所に運び回って共同作業でアニメを制作しています。徐々に地の利を得て広がってきたことが、杉並区にスタジオが多くなった歴史的経緯です。
 そうした中で、アニメ分野について区としてどうバックアップができるかを考えてみようということで、2001年4月に初めて、杉並区で「アニメーション・フェスティバル」を開催しました。国と東京都に協力をいただき、区内のアニメのさまざまなスタジオにも出展していただいた。シンポジウム、セル画の展示、セル画を描く現場を見ていただくとか、クレイ・アニメ(粘土でつくったアニメーション)のビデオを子供たちに作ってもらうなど、大変な盛況でした。一躍、杉並区はアニメの集積地であることが大きく報道され、多くの人たちが杉並区に注目し、その情報をとることになった。
 杉並区で8月、「杉並アニメ振興協議会」という、アニメーション分野では初めての、地域団体が設立されました。地域全体としてアニメーションの普及・振興を図っていこう、またアニメーターの地位の向上を図っていくことを目的とした団体が、初めて日本で設立されました。ある面では行政のさまざまな施策の受け皿になっていただくようなアニメーションの協議会を通じて、これから区としても、できる範囲の中で地場産業としてのアニメーション育成策を考えていかなければいけないと思っています。
 具体策の一つは、例えば、さまざまな経営相談です。または、杉並区にいわゆるエンジェルを集めていくようなベンチャーキャピタルを育成していく。NPOとの接点もつくって、ファイナンスの分野等でパイプ役を務めていくことも当然行っていきます。来年は、協議会として独自のアニメを制作する企画もあるようです。そういったことで、アニメーションに対して多くの区民・国民が関心を持っています。区としても、アニメ・フェスティバルで募集し、全国から送られてきた作品の中の入賞作品を区のホームページ上で流しています。ビデオ・オン・ディマンドの形で作品を流しながら、英語版も作成してアニメーターの方々を世界に紹介します。そういう発表の場も提供していこうと考えています。
 アニメのデジタル化問題について、区としてもかなり絞って、SOHO(在宅作業)をつくっていきます。SOHOも、ブロードバンドフリー、つまり、ブロードバンドの使用料をただにしていく。こういうことなども含めて、ハード分野でも振興の場を提供していこうと考えています。
 ただ、杉並区だけで東京の顔がつくれるわけでもないし、日本の顔になるわけでもない。地場産業、地場文化、そういったものにどうスポットライトをあてて日本の顔、東京の顔にしていくか。地場で頑張っているスタジオを抜きにしては、うまくいかないと私は思っています。杉並区や練馬区のスタジオが集中しているところを中心に、どうやって盛り上げていくかを考えると、一つのアイデアとしては、アカデミックな分野でのアニメーションのセンターを作る必要があると思います。
 例えば、スタジオ経営は大変競争が激しい。激しい競争の中で、フィルムやセル画などが散逸する可能性がある。また、さまざまなデモンストレーション用のビデオやフィルム等も作っている。これらは、日本が作り上げてきた文化として残していく必要がある。または、今後、情報を提供していくことも必要だと思います。
 そういう意味で、アニメのアーカイブ、ライブラリー、資料館などを、地場のスタジオがある杉並区内に設置して、できれば全国のアニメーション・フィルムをデジタル化して蓄積していく。そして必要な人たちに提供し、研究材料にし、また新しいものの発表の場をつくっていく。アニメーションのライブラリー的なものを設置できれば、杉並区や練馬区も含めて、地域の核となる。そこで人材も育成され、デジタル化されたデータを提供できる。また、インターネットでアクセスすれば、いつでも情報を得られるということが必要ではないかと考えています。
 今後、アニメーションを日本の顔、東京の顔にしていく場合、宮崎駿さんの「三鷹の森ジブリ美術館」のように、日本の特別な人の作品を展示していくことも必要と思います。一方で、もっと裾野を広くし、さまざまなチャレンジ、取り組みをしてきた人たちの作品群を、どう保存し、どう提供し、どう研究していくかということが、日本のアニメーションの層、基盤を厚くしていくためには、乗り越えていかなければいけない大事な部分だと思います。本来、これは杉並区がやるのではなく、国が国策として乗り出すべきものだと思います。商業の分野としてではなく、アカデミックな分野としてであれば、可能性はかなり大きいのではないかと考えています。
 まず杉並区で何ができるか。幾つかのステップがあると思うのです。第一ステップとしては、杉並区の地場のスタジオに協力していただいて、作品のデータベースを作っていく。また検索システムなどをつくっていく。こういう場所を杉並会館などの一部分を使って準備的にスタートする。将来はアニメ・ライブラリーを通じた研究、またはアカデミックな世界も加味した施設を、国あるいは東京都に整備してもらう。杉並区がきっかけをつくることが地場のスタジオには不可欠なことではないかと考えています。
 とにかく杉並区としては、そういう形で知識の層を高める、厚くすることも、やっていく必要があると考えています。
 現在、2002年もアニメの「東京フェスティバル」に参加しながら、情報をきちっと提供しつつ、PRをしていきたいと思っています。
浜野 山田区長さんがお話したような試みは海外ではよく開かれています。アメリカでは、「アメリカ映画協会」(AFI)という非政府機関、イギリスでは「BFI」という国立の映画機関、スウェーデンにも「SFI」(スウェーデン映画協会)があります。機関の中には大学やアーカイブなど全てあります。
 フランスは芸術が盛んな国で、芸術家は無税の恩恵を受けたりする。映画に対しても多くの国費を使って映画を撮っていたのです。1999年でしたか、「フューチュロ・スコープ」というプロジェクトでポワティエという町に、アニメーションに特化したデジタルアニメーションの核施設をつくり、大学、アーカイブ、ミュージアムなど全てを含んでいます。学生は年間15人で、無料で2年間徹底的に勉強させるデジタルアニメーションの大学院大学を、フランス政府がポワティエ市と共同で設立しました。大きなデジタルのミュージアムを併設しています。
 この大学院大学に、最初に日本人講師として呼ばれたのが、高畑勲氏と大塚康生氏です。日本人が教えているわけです。フランスは、幾ら国費を費やしてもアニメを制作してハリウッドに勝てなかった。しかし、日本のアニメーションはハリウッドと対等にやっているということで、日本のアニメーションのテーストではいけるのではないかという理由からです。ディズニーと対抗するのは難しいので、そうした思惑があったと思います。
 また、韓国は映画の調子がいいのです。経済産業省管轄の財団と提携した韓国の観光文化部のプロジェクトとして、「デジタル・コンテンツ産業発展計画」、「DCアクションプラン2005」ができました。2005年までに日本円で約610億円をコンテンツ振興に使うということです。最近の資料だと850億円に増額になったらしい。今村昌平監督の映画もこのお金でつくられることになった。日本映画も韓国のお金で製作されるようになりました。コンテンツ振興を政府が手がけることについては、韓国国内でも賛否両論があります。金大中大統領は、「文化は金である」と言っています。日本は業界の自助努力でここまできたのですが、最近曲がり角に来ている。その中で、山田区長さんが話したような試みが行われるようになりました。
 まず、日本のデジタル映像制作のパイオニア、掛須さんからお願いします。
デジタル化には問題が山積
掛須 山田区長さんが話した「アニメーション振興協議会」は、私も役員です。まだ具体的な活動の方向は見えていないのですが、杉並区の若い職員の方たちとお話ができる機会がありました。以前から、制作援助のための資金の話は何回か出てきたのです。ところが、具体的に資金融資の形で支援をしようとすると、書類上の審査の問題、企画の問題などが引っかかり、自由な発想で自由に制作するために、安い金利でお金を貸すことはなかなか通らない話なのです。また、会社経営のための資金利用に関しても、申請基準が大変厳しいことが過去にあったので、銀行からお金を借りたほうがまだ楽だという声があるくらいです。諸手を挙げてお金を貸します、育成のために制作資金の援助をしますと言われても、もう乗らないよというプロダクションも結構あると思うのです。
 具体的に活動ができると思っているのは、新人の育成です。今、民間の専門学校にゆだねていることが圧倒的に多いと思います。専門学校は、どちらかというと趣味的な嗜好を持った人たちの集まり、悪く言えば“おたく”の集まりで、高いお金を払って、就職もしたくないから何年間か東京でぶらぶら過ごして田舎へ帰ろうという学生もたくさんいる。そういう学生の中からは、そんなに優秀な人材は出てこないと思う。
 すごく優秀な人材が突然、出てくることがあるのですが、そういう人に共通して言えることは、学校は出ていなくて、独学で学び、強いエネルギーを持ち、一人で上京してプロダクションのドアをノックする。“いきなり型”というか、パワーのある人材はそういうタイプと思わざるを得ないような人が多い。専門学校で2〜3年学んで来ても、現実の仕事につくと、必ず2年ぐらいで挫折する。親も就職後まで仕送りはしないのが現実です。アニメーション業界の一番底辺の部分、彩色や動画は、給料が生活するに値しないくらい低い。そのため、韓国、台湾、中国等の人件費の安いところを探して海外流出しているわけです。
 産業構造としては仕方がないとしても、動画や彩色は、アニメーションの基本ですので、それを完全に海外にゆだねると、訓練の場、基礎を学ぶ場がなくなるのです。基礎を学ぶには、数多くの作品を手がけて初めて腕が慣れてくる。アニメーターでいうと動画が基本ですが、生活していけないため、海外に流出してしまう。技術を習得できないままアニメーターにならざるを得ない。それが質の低下につながってきたりするのです。そこを何とか支援する方法はないだろうかと考えています。
 それ以外の技術スタッフも同様です。我が社はデジタルの編集を中心にしていますが、この1年でアナログがほとんどなくなりました。来年1年ぐらいはまだアナログが半分ぐらい残るかと思っていたのですが、極端に減っています。今、当社ではテレビシリーズを12本手がけていますが、そのうち一番デジタルっぽく見える「ポケモン」だけがアナログで、あとは全部デジタル編集に切りかわってしまったのです。その弊害としては、フィルムを編集する技術が極端に衰えてしまいました。
 フィルムを触る人間、編集マンは最初にフィルムから覚える。ネガから覚えていくことが、今までの新人育成の流れでしたが、そのラインが全くなくなりました。また、近くにあるアニメーション撮影会社も、全部デジタルに変わったことによって、アナログが放棄され、カメラ台は10台あっても、1台も稼働していない。こういうプロダクションが何社かあります。アナログ技術の基礎が全く習得されていないままデジタルに移らざるを得ない。とても危険な状況だと思います。長期にわたって習得しなければならない技術ではないとすれば、基礎学力という形で、最低でも1年間ぐらいむだなことを承知の上で教育する方法はないだろうかと考えるわけです。
 この間、杉並区にある提案をしました。杉並区内にはほぼ全パートのプロダクションがありますから、インターン制度みたいな形で、各プロダクションで何人か研修させる。教育費は、新人が所属する会社で払う。例えば、初めの1〜2週間は撮影で某社に行く。次の1〜2週間は編集で某社へ行くというような研修制度をつくって、杉並区内のプロダクションを全員がローテーションで回ると、今までの技術の全容が学習できる。その後、自分の才能に向いているポジションを探すための育成機関をまた別に設ける。いわゆる学校ではなくて、会社単位で一つの箱をつくり、会社単位で新人を引き受けて、全体の教育をしていく方法です。
浜野 現場でのデジタル化の推進についてはどうですか。
掛須 最初はデジタル化を、私が先頭に立って旗を振っていましたが、この半年ぐらい、逆に、デジタル化は危ないと引き止めている立場です。アナログを忘れるとデジタルも怖いということです。押井守監督が「甲殻機動隊」を制作しているころに、「コンピューターを使っていると言うが、それは大きな間違い。パソコン上で動いているソフトを使っているだけで、決してパソコンを動かしているわけではない。パソコンの原理を全く知らないで使っているようなものだ。車は運転できるが、エンジンからブレーキの構造まで分かっている人なんていないのと同じ話だ」と言っていました。
 それが今になってようやく分かってきたという感じです。例えば、私が始めた「ノンリニアソフト」はアービッドというソフトで、当時は唯一のマシンだったわけですが、今はたくさん後発のソフトが出ている。それらはマックベースで動いているものと、ウインドウズで動いているもので極端に違う。そうすると、考え方も違ってくる。ところが、編集の基礎をフィルムやVTRなどで教えられてきた人は、どんな会話も成り立つのです。自分のやりたいことをフィルムベースに置き換えたり、VTRの編集・構成のべ一スに置き換えて会話をすることができるのですが、ソフトから入った人は、それがどういうモードのことを言っているのか分からない。
 つまり、ソフトメーカーが、つくった作業に名前をつける、ワーク名を作るわけです。特に、海外メーカーでつくられたソフトは、それぞれ違った言い方をしている。あるとき、あるプロダクションの作画・A君と、別の会社の作画・B君が、酒の席で会話をする。2人ともデジタル関係のアニメーターで、全く同じくらいの実力を持っている。これが、違うソフトを使っていると、全く会話にならない。見事なくらいに会話がすれ違っていて、一切、共通点が見出せない。自分がやってきた作業の中でのノウハウ、例えば効率的なファイルの管理の仕方や作業のスピードアップの方法など情報交換が一切できないのです。そういった次元になりつつあるわけです。
 アナログの動画撮影とか、作画のセル重ねというように、セルという今までの共通の言語に変えると、会話が成り立つ。ところが、若い人たちは、セル重ね、今だったらレイヤー重ね、セルワークでこういうワーキング、フェアリングパンをつけるなどという会話がまったくできない。共通言語をなくしつつある。変な人種が育ちつつあるのを実感しています。
浜野 「もののけ姫」の最後のタイトルを見ると、デジタルのペインティングはみんな「DR」という韓国の会社です。最近、文化庁のメディア芸術祭で「千と千尋の神隠し」とダブルで大賞をとった「千年女王」のペインティングも100%、「DR」です。CGの非常に美しい「メトロポリス」という作品も100%、「DR」でペイントされている。最近の話題作は全部、韓国でデジタル・ペイントされている。特に、「DR」がすごいらしいのですが、日本のコストの3割でやってくれるらしい。そして期間も日本の3割短縮だと言っていました。大変実力がある。
 日本の製造業が陥った空洞化が、アニメーション界にもくるのではないかと非常に危倶しています。エンターテインメントの世界は、「量が質を凌駕する」とよく言われる。ある程度のべースがあって、たくさん作品がないと、いいものが出てこない。日本は、毎年、50数本のテレビシリーズを放映して、べースをずっと支えてきた。その実力があって今があるのです。
 次に鷺巣さんからご提案をいただきたい。
「白蛇伝」からの長い歴史
鷺巣 日本動画協会の加盟社は、18社です。「千と千尋の神隠し」の「スタジオ・ジブリ」は入っていません。メジャー会社は「東映アニメーション」です。
 日本のアニメは、戦後、東急の大川氏が、日本でもディズニーのような動画会社をつくろうと、「東映動画」を設立したところからスタートしました。東映動画は「白蛇伝」を制作し劇場公開しました。余談ですが、宮崎駿さんは東映にいた人です。その後、亡くなりました徳間社長の力添えで「スタジオ・ジブリ」をつくりました。そして「風の谷のナウシカ」から始まって、今の「千と千尋の神隠し」まで制作している。劇場用アニメは、大きく分けて、「白蛇伝」から「千と千尋の神隠し」まで続いています。
 それと並行して、テレビが普及し、1963年(昭和38年)に、テレビアニメがスタートする。最初に制作・放映したのは、個人の漫画家だった手塚治虫です。日本も、それまでは外国の「ポパイ」とか「ヘッケルとジャックル」などを放映してはいた。明治製菓が、日本でも30分もののアニメ放映ができないかと、「手塚プロ」(当時虫プロ)に打診してきたわけです。手塚さんは、テスト的に「ある街角の物語」という作品を制作していた。しかし、「虫プロ」の優秀なスタッフたちが、「鉄腕アトム」をテレビシリーズに乗せようと主張し、実現した。テレビアニメは「鉄腕アトム」からのスタートです。そして現在の「ハム太郎」まで来ています。その間には、ブレークしてメジャーになった作品も、視聴率が上がらなくて消えていった作品もあります。大きく分けて、テレビアニメは「鉄腕アトム」から「ハム太郎」までずっと続いているわけです。
 劇場用はいろいろありました。西崎さんが「宇宙戦艦ヤマト」を制作した。あの発想がすばらしい。日本の象徴であった「戦艦大和」を宇宙に飛ばしてしまった。アニメはそういうことができるわけです。
 私どもの会社「エイケン」の立場から少し説明させてもらいます。手塚さんがアトムをつくった後、大阪の製菓会社「グリコ」が「鉄人28号」のスポンサーになりました。当時「少年」という雑誌がありました。そこに、鉄腕アトムと一緒に、横山光輝の「鉄人28号」が連載されていた。グリコが、この「鉄人28号」に目をつけ、ロボットものとして、エイケンの初めての作品となったのです。
 現在「サザエさん」を作っています。「サザエさん」を作る前に、東芝が、携帯ラジオを売りたいので、青年層を対象にしたアニメのキャラクターがほしいと要請がありました。当時は、学生運動の真っ盛りでした。なぜか、紙芝居で人気があった白土三平ものが受けていました。白土三平の作品が載っていたのは、それまでは「ガロ」という、商業誌でした。白土は「少年」にも「忍者武芸帳」という、わりと激しい線の絵を連載していましたが、アトムに影響されたのか、“サスケ”という可愛いキャラクターを登場させて人気を得ました。手塚のアトム、横山の鉄人と3本並んだわけです。
 森永がサスケをスポンサードしました。東芝は、昭和44年に「カムイ外伝」を半年放映したが、ファミリーものがいいと、長谷川町子の「サザエさん」に目をつけた。そのとき、私たち関係者も企画マンも含めて、いろいろな意見が出た。その頃のアニメは、畳の上の役者が演じるものをアニメにしても面白くないという考え方が主流でした。宇宙に行ったり、空を飛んだり、自由奔放にアイデアを生かせるのがアニメだからです。
 「サザエさん」は、江利チエミがテレビドラマや映画で演じていた。その「サザエさん」で江利チエミは、視聴者からかなり受けていた。それを今さらアニメにすることはないのではないかと言われたのです。アニメの企画にはいろいろなジャンルがあってもいい、東芝もいいというので、「サザエさん」の制作が決まりました。見事にあたった。今、アニメ紙や一般紙でも、告知を打っていないし、宣伝もしていない。それでも32年間、ずっと20%を超える視聴率を保ってきている。アニメにはタブーはないと思うのです。
 企画を立てるのはすごく難しい。例えば、宮崎さんの「スタジオ・ジブリ」に鈴木プロデューサーがいる。鈴木プロデューサーはいろいろ作品を制作してきました。例えば、「もののけ姫」は当たりました。いかにもアニメ的な企画ではなく、「ホーホケキョ・となりの山田くん」のようなものもいいのではと企画を出しました。ところで、「もののけ姫」の制作費は20億円かかっています。「となりの山田くん」は23億円かかっている。デジタルCGで普通のアニメだとインプットすると色がつくのですが、「となりの山田くん」のようなカリカチュアした絵は、髪の毛も線がつながっていないのです。コンピューターでもう一回線を入れて、また色をつけて、また線を消すという作業が必要になる。それこそ膨大な費用がかかる。でも、見ている劇場のお客は、費用がかかったことは関係ない。例えば、宮崎さんの「千と千尋の神隠し」も「もののけ姫」も、大きいスクリーンで、パッションもエネルギーもあってお金がかかっているように見える。ああいう俳句的な「山田くん」のような作品は、お金がかかったようには見えない。
 企画のカテゴリーには、3Dの立体アニメもゲームの立体アニメもある。同じカテゴリーですが、企画の選択は難しいとしみじみ思いました。
 これからのアニメーターの養成については、2001年12月号の「月刊現代」に載っています。我々が鉄人をつくったときには、今のような各種学校はなかった。今はもう、各種学校がいっぱいあります。
 例えば、東映動画も「東映アニメーション研究所」があります。「トムス」という学校は、東京ムービーが、特別な学校をつくろうと大塚康生さんたちを中心に設立されました。俳優の仲代達矢が、役者を育てるためにつくった「無名塾」からヒントを得て、大塚さんが、今までの各種学校とは違うアニメ塾をつくった。もちろんコンピューターで、マンツーマンで教えるのです。ハードルが高く、やたらに卒業証書を出さない。そのかわり、金の卵にして各社に送り込む。
 その「トムス」が今、悲鳴を上げている。学校経営ははやりビジネスです。ライセンスは優秀な人でないと出さない。ただでさえ子供が少なくなっている。笛や太鼓で集めても来ないのに、そういうハードルの高いところに、今のアニメ希望者たちは入ってこない。入ってこないとアニメ塾は成り立たないわけです。どこかが資金を出してくれて、ボランティア的に経営する学校だったら、金の卵を産むようなアニメーターを育てられるはずですが、学校経営は誰でも入学できないと成り立たないわけです。今の各種学校はそういうシステムです。
浜野 今、東京都の情報会員をしていて、都立大学再編の際、アニメーション学科とか学部の創設を提言して顰蹙を買いました。酒井さんから、「新世紀東京国際アニメフェア21」の計画などを含めて、お話いただきたいと思います。
アニメはソフト産業支援の一環
酒井 「新世紀東京国際アニメフェア21」の事務局にいます。2001年6月7日に第1回実行委員会(委員長・石原慎太郎知事)が開かれています。全体で約80社に参加していただき、実行委員会方式で内容を詰めて、来年2月15〜17日の3日間(金〜日)、東京ビッグサイトで開催します。250コマを用意したのですが、280コマ、84社が見本市に出展していただけるということで、場合によってはキャンセル待ちの状況になっています。
 第1回目のフェアということで、アニメのプロダクションが多い地域杉並、練馬、三鷹、武蔵野の各区市と連携し、全体でフェアを盛り上げていくコンセプトです。
 クリエーターたちは、若手で実力はあるが、チャンスに恵まれないこともあるだろうと、ビジネス交流会を開催します。約220社ある都内のプロダクションに、2001年秋に開く、基本的に無料のビジネス交流会に出展していただけますかと、アンケートしました。個人のクリエーターが約20人集まっている2つのグループが、自分たちの作品をぜひ出展したいということで、3ブース用意して作品を見てもらう場所をつくっています。そのほかに、経営、金融、技術相談も行います。技術相談については、東京工科大学(東京都八王子)の金子教授の教室にご協力いただき、デジタル化などの相談を受けられるコーナーも展開していきます。
 海外のアニメのファンやバイヤーも多数呼びたいということで、実行委員に、バイヤーのリストをいただきました。会社によっては超丸秘事項ですが、事務局から、このフェアに合わせて来日していただきたいというメッセージを出しています。国内についても、各地方のテレビ局にメッセージを出しています。
 海外のフェアの方々とも連携しています。例えば、アメリカの「ナッピー」という番組販売のフェアがありますが、そこの月刊誌にもフェアの内容を載せていただいたり、お互いにPRしていくこともしています。
 昭和37〜38年から日本のテレビアニメは、「鉄腕アトム」「鉄人28号」の放映で始まったお話がありました。実行委員会のメンバーに、その時代のフィルム、または番組販売で使ったグッズやポスター等をお借りし、「日本のアニメ100」というネーミングで、作品やグッズ類を展示して、アニメのファンに見てもらいます。海外の人は、日本のアニメが見られて興味深いと思うので、初期の作品から現代まで、テレビ部門と劇場映画部門、それにオリジナル部門で見てもらおうと思っています。
 コンペティションの部門では、インターネットで作品を募集し、66作品が集まりました。過去1年間に放映されたテレビ番組は、全体で2,600本、週に50〜60本です。その中でアカデミー賞のように最優秀作品を選びます。これは約30名ほどの審査員に投票していただきます。2001年12月25日〜2002年1月20日まで、インターネット上で人気投票を行ないました。
 公募作品は、学生などアニメの素人と、実際に会社に入って作品をつくっているプロとの二通りの作品がきています。プロの作品でも、他のフェスティバルの受賞作品でもいいということになっています。66作品のうち約3分の1はプロ、3分の2がアマです。
 それから、東京財団の企画で、「新日本文化圏」というテーマで、海外で親しまれている日本のアニメーションが、海外の文化にどのような形で影響を与えているのかというシンポジウムを開きます。また、「産業としてのアニメ」というとらえ方で、アニメの制作現場から流通に至るまで、さまざまな問題がありますが、今後さらに発展させるためにはどうしたらいいかというディスカッションも開く予定です。
 2区2市と共同開催では、杉並区が2月9日〜11日に「セシオン杉並」で、練馬区は大泉学園の北口を中心に、三鷹市と武蔵野市も、それぞれイベント企画を進めています。2002年早々、プロモート用のビラやパンフレットをつくって宣伝していく状況です。
 先日、ニューヨークの「ビッグアップル・アニメフェスタ」の主催者が来日し、その方々とお話しました。アメリカの日本のアニメを見る目が、ここ2、3年急激に変わってきたということです。5、6年前はアニメ・エキスポとかいろいろなフェアがありましたが、アニメというと“おたく”しか見なかった。ところが98〜99年以降、子供たちが日本のアニメーションを見るようになった。ローカル局をシンジケートの関係で開拓した中で、日本のアニメーションの「ポケモン」や「ピカチュー」が放映され、小学生の間で、“おたく”と言われるのが逆にステータスになり、もの知り博士のような見方をするようになってきたと話していました。日本のアニメーションが巨大なアメリカのマーケットに食い込んだということです。ヨーロッパ、アジア、南米にも入っていますので、世界的に大きなマーケットを手に入れつつあると思っているところです。
 フェアの関係で、いろいろな企業の方々とお会いして、フェアのPRをさせていただいていますが、特に銀行・商社系企業が、アニメのコンテンツに対して非常に熱い思いがあります。ぜひ、いろいろな面で協力したい、このフェアに行ってみたいと、割と食い付きがいいようです。そういう意味では今、ブロードバンド時代に入っていこうとする中で、新しいコンテンツを求めるビジネス、新しいビジネスモデルをつくっていきたいという企業の、熱い思いを感じているところです。それから、有線放送業界などが、ブロードバンド関連でアニメに対して熱いメッセージを送っているように思います。
 東京都が、なぜアニメ産業育成を打ち出したのか。テレビアニメが始まってからもう40年経っています。今、世界で日本のアニメが見直されている中で、もっと日本のアニメ、東京のアニメを打ち出していくべき、と考えたからです。現在、デジタル化の波の中で韓国や中国の追い上げが激しくなってきている。人材の育成、後輩の育成が、技術の伝承というものが、今、大きな端境期、ターニングポイントとなってきている。行政としては、何かしら支援をして、ぜひ輸出産業としてもっと伸びて欲しい。そのために、金融面や技術面、人材育成面で何らかの支援をしていきたいと思っているわけです。
 都が予算面で、情報(IT)、アニメのコンテンツ、人材の育成などの問題にどう対応できるか。東京都は、これまでは重厚長大な産業に強く支援を行ってきましたが、ソフト産業にも支援をしていこうということで、観光産業課を2001年4月に設けました。ソフト産業の支援の一環としてアニメ産業の振興があるのです。
 2002年の東京都重点施策125項目の中に、アニメ産業振興の1項目を入れています。そういう意味で、2002年は、アニメ産業の振興にもっと力を入れていきたいと思っています。
浜野 韓国は3年前に、政府が支援する20産業のうちにアニメーションを入れています。東京都とは意味が違いますが、心強い発言と思います。
 実は、2001年12月5日が、ディズニーが生まれて100周年です。同年11月4日に、アメリカのアカデミー賞の協会が、「日本のアニメーション」のテーマで初めてセミナーを開催したのです。アカデミー賞の協会は月4つぐらいセミナーを開いています。コーディネーターを頼まれたのですが、行けなかった。「セーラームーン」の幾原監督と大友さんが行ってくださるはずだったのに、テロのおかげでキャンセルになった。「甲殻機動隊」のプロデューサーの石川さんに行っていただいた。アカデミー賞70年の歴史で、このセミナーのチケットが最速で売れたんです。400席が1日で売れた。アカデミー会員でないと入れないセミナーで、チケットが売り切れた。それぐらい日本のアニメーションに関心があります。日本のアニメーションがつくった市場を狙って制作した「シュレック」が200億円以上の興行成績をあげた。映画「ハリーポッター」に抜かれたとはいえ、アメリカのアニメーション史上最大の売上げをあげたわけです。5,6歳の子どもをターゲットにしたディズニー・アニメではなく、ティーンエージャーをターゲットにしたアニメーションが成功した。アメリカも、日本が開拓した市場で成功できることを証明した意味でも、日本のアニメーションが注目されている。
 日本のアニメーションは、押井守監督がよく言っているように、マンガがあってこそです。ハリウッドの映画が強いのは、世界中の誰にも受け入れられるストーリーを取ってきて、それを映画化するからです。日本もよく似た形で、成功したマンガをアニメーションにする。マンガをアニメーションの絵コンテに使っているわけです。マンガそのものもビッグビジネスで大きな影響を与えているということで、里中先生にお話をお願いします。里中先生は、マンガの振興を個人でやっていて、孤軍奮闘しています。先生の活動をお聞きして感銘を受けています。
マンガ革命を起こした手塚治虫
里中 ご紹介に、孤軍奮闘とありましたが、そんな大げさなものではありません。その都度、漫画家や周りの方たちという助けてくれる仲間たちがいるのです。決して一人でいろいろなことがやれたわけではありません。ただ、もっとやれること、マンガ界のためにやらなければいけないこと、あるいはマンガのためにやっておきたいことがいっぱいあるのですが、いかんせん力が足りない。どうか、お力とアイデアを貸していただきたいと思います。
 日本の経済の中で、マンガ、アニメーションともに、かなりの経済効果を上げて現在に至っているわけです。マンガもアニメーションも、これといって公の援助や助力をいただかずに来た分野ではないかと思っています。マンガ、アニメともにサブカルチャーです。サブカルチャーにはサブカルチャーの野性味と強味と気力がありますので、ここまで頑張ってきたとは言えます。ただこれだけ、世界にアニメーションともどもマンガも広まってきますと、私たち日本人も、マンガのこれまでの道のりを振り返って、研究や検証も、いろいろ新たにしなければいけないことがあると思っています。
 日本のマンガが隆盛で経済効果を上げている、日本のマンガは世界中、特にハリウッドの映画のネタ元になっているというような言葉を、いろいろなところでお聞きになると思いますので、日本のマンガの本質について、お話したいと思います。日本でどうしてこんなにマンガが発展したのか。それは漫画家が多かったからとか、日本人はマンガ好きだからとか、言われますが、それだけではありません。アニメーションでも、その他のさまざまな日本の発明品(家電製品をも含めて)もそうでしょうが、日本人の発想が根底にあると思います。
 マンガは世界中に昔からありましたが、世界の常識は、子供が読むものだということです。あるいは大人であっても、ろくに字も読めない、あまり文字に親しまないタイプの人たちが対象です(外国の場合は日本と違って明らかな身分制度の差があります)。だから、誰にも分かり、考え込まなくて済み、見終わった後は「めでたしめでたし」となる、そういうものがマンガだということです。その常識の中で、日本のマンガもずっと歴史を重ねてきました。マンガは子供に読ませても、ほとんど毒にもならず、大した薬にもならない。ひととき楽しんで、その楽しいひとときを約束するものであればいい。かつてはそんなものでした。
 常識はまず覆されるためにあるのですが、人はまずその常識にとらわれます。ところが、日本のマンガ、特にストーリー・マンガでは、戦後早々に、当時の若者を代表する手塚治虫がドラマとは何かと、ルネッサンスのような改革を起こしたわけです。ドラマに制約は何もない。小説も、映画も、お芝居からオペラに至るまで、ドラマ性を持ったものは全て、必ずドラマそのものに多様性があるわけです。ところがマンガにおいては、「めでたしめでたし」で、誰が見ても理解できる話という、約束ごとのようなものにとらわれてきたわけです。しかし、手塚治虫を筆頭とする若いパワーは、マンガという表現手段を使って、どんなジャンル、どんなテーマでも表現しようとしました。ここが日本マンガの目覚めの出発点であり、また世界のマンガ史におけるルネッサンスがここに始まったと思います。
 アメリカでは、アメリカンコミックはきちんとした市場になっています。例えば、「スーパーマン」だったら、誰かが最初に作品を書くと、版元が著作権を買い取ります。そこで契約金が発生して、契約料が払われます。これが最悪の場合、一時金になることがあります。なぜならば、版権を持った出版社は、このアイデアやキャラクターを利用して、次からは別の脚本家、別の原作者、あるいは別の絵描きさんに作品を頼むことがよくあります。スーパーマンは、スタートから一人の漫画家が描いているのではなく、版元が選んだ漫画家が、最初のキャラクターを発展させて描くわけです。同じアメリカの有名な作品、「バットマン」や「スパイダーマン」にしても、何代も漫画家が代わっています。映画づくりと同じように制作者がいて、主演男優はこの人、主演女優はこの人、脚本家はこの人というように契約するからです。
 作品の寿命が長くなると、漫画家も脚本家も交代する。しかし、「バットマン」という作品は、変わらないわけです。「バットマン」は、主人公をつくるキャラクター・デザイナー、その絵を描く漫画家、脇役のキャラクター・デザイナーなどがいるというように、映画づくりと同じような、総合力を結集した作品になっています。何代も漫画家が代わりながら、よくぞ同じキャラクターが描けると、私はその職人技に感動しています。日本のマンガは基本的に、一人漫画家が考えてキャラクター・デザインもし、脚本も書き、コマ割りも画面構成もし、そして絵も描きます。現実には、絵を描く段階で締め切りが来ているという場合が多い。とても一人で描ける量ではありませんので、アシスタントに手伝ってもらうことはよくあります。でも、日本の漫画家で、一カ所も誰にも描かせずに、一人で描いている人もいれば、主人公の絵もチーフアシスタントに任せている人もいます。
 日本のマンガの特色は、アメリカンコミックに代表されるような安定供給型、プロデューサーが存在した上での作品ではないのです。あくまで作者の感性で最終決定をする作品なのです。しかもその作品は、これまでのマンガの、ストーリーはこんなもの、ジャンルはこんなものという常識を打ち破ったものだったのです。画面構成においても、手塚治虫は、それまでの二次元的な舞台劇のような画面構成から一転して、映画による手持ちカメラや望遠レンズを多用し、さまざまな撮影方式でマンガを見せました。
 それがルネッサンスといわれる所以です。西洋におけるイタリアのルネッサンスでも、レオナルド・ダ・ヴィンチなど巨人が何人かいますが、それ以前に、先駆けとなった人が何人かいます。レオナルド・ダ・ヴィンチが遠近法と絵との合体により、初めて芸術として普遍性を持つ絵画を描いたことで、ルネッサンスの巨人になったわけです。しかし、それ以前に何人か、遠近法をとり入れようと努力した人、またその片鱗が作品にみえている人がいるわけです。それと同じように、日本のマンガも、決してそれまで、全てがハッピーエンドで終わるマンガだったわけではありません。ただ、そのパワーは大変弱かったし、画面構成その他を含めますと、やはり手塚治虫を出発点とすべきではないかと思っています。
 手塚治虫の後輩たちは、これがマンガだと思いました。どんなものでも、存在すればそれが当たり前になります。今、テレビをつければ、カラーは当たり前です。でも、かつてはモノクロでした。モノクロの頃は、ディレクターやプロデューサーはモノクロを前提に考えるわけです。モノクロの効果を考えて道具を選ぶ。カラーが当たり前の今は、カラーでどう映るかを考えるわけです。見る側もテレビはカラーが常識。マンガも、手塚治虫出現後は、ああいう画面構成が常識になったわけです。それを見た若者たちは、これがマンガだと信じて育ったわけです。その代表的な人たちが“ときわ荘”世代です。その人たちのマンガを見て育った次の世代は、私の世代になるわけです。雑誌「少年」で、「鉄人28号」「鉄腕アトム」を見て育った世代です。「サスケ」が登場して、白土三平が雑誌に連載するようになったと気付いた世代です。こういう世代がその次の世代です。
 昭和40年頃になると、日本のマンガ市場もどんどん活性化されてきました。発行部数が増え、読者のターゲット年齢は上がる。これまで少年雑誌、少女雑誌は小学生ぐらいまでだったのが、中学生や高校生が読むようなものになり、どんどん雑誌のジャンルが広がってきます。それにつれて、作者のほうもその年齢に合わせて描くようになる。当然、昔だったら小学校を卒業するとマンガは読まなかった人が、中学生や高校生、あるいは大学生になっても、それなりのテーマのものを読むようになる。マンガは隆盛を極めました。
 ところが、対国際社会において2つの問題点が出てきました。一つは、大学生が電車の中でマンガを読んでいる、何てばかな国だとアメリカ人が笑うという状況で、日本以外には見られない現象でした。アメリカ人に笑われると、日本人はびくびくする。我が国は情けない限りです。アメリカに笑われるからと、マンガをろくに読まない人たちが嘆いて、したり顔で語っていたのです。もう一つは、日本の出版業界が昭和40年代に、マンガが売れてきたから積極的に日本のマンガをアメリカに売り込もうとしたことです。どうしてもアメリカに目が向いてしまう。アメリカに受け入れられれば、世界に受け入れられたことと同じという考え方から来ていることだと思います。
 ところが、アメリカ人にとっては、日本のマンガはコミックではないという考え方がある。コミックは、お決まりのように、「めでたしめでたし」で、ヒーローは必ず最後は勝つというものです。そしてヒーロー・ヒロインは美しい。そういう分かりやすい話でなければいけない。しかも、ペラでキオスクで売っているような30ぺージ程度の極彩色の、そういう活劇ものがアメリカンコミックであるという常識がまだまだありました。日本のマンガを見て何と言ったか。作品によっては何千ぺージもあるような長いものはコミックとはいえない。ヒーロー・ヒロインが必ずしも幸せになるとは限らないし、ましてや必ず美しいとは限らない。冗談ではないというわけです。しかも、ヒーロー・ヒロインが、悩み苦しむ果てに誰にも理解されずに死んでいくようなストーリーがいっぱいある。こんなのはコミックとはいえないと否定されたわけです。
 当時、日本で大人気の「ドラえもん」をこれならかわいいだろうと持っていった。しかし、気持ち悪い、何だこのネズミみたいなものは、どこが可愛いのだというわけです。「ドラえもん」の持つキャラクターやデザインだけではなく、作品全体が持つ未来社会に対する皮肉な目を全然感じてくれないわけです。パッと見てキャラクターが可愛いかどうかだけなんです。私たちの感覚からすると、ドラえもんは可愛いと思いますが、もしかしたら、デザインが可愛いというよりも、ドラえもんの考え方、生き方、表情が可愛いから、総合的に可愛いと思っているのかもしれません。でも、そこまでアメリカ人は見てくれない。そこで否定されました。日本人はアメリカから否定されるとすぐシュンとなってしまう。
 アメリカが言うのだから間違いないだろう、日本のマンガは国内だけ、日本民族だけで楽しむものであろう、それでも十分売れるのだからいいではないかと考えてしまうのです。「週刊少年ジャンプ」は、600万部余も毎週、毎週出しているのに、「日本は世も末だ」と嘆くオジサンたちはまだいっぱいいた。ところが、若者たちが、子供たちがマンガを見る。描き手も必死になって描く。その中から生まれてきた新しい表現がいっぱいあるわけです。そこには新しい発想、目のつけどころがなくてはいけないのです。
 一方、アメリカに振られてシュンとなっている日本でしたが、片思いしてくれる国もたくさんあった。片思いされて初めて、情が通じることが分かるという、日本はバカな男のようなものです。アジアの近隣諸国で、海賊版という形で日本のマンガが広まっていることに気がついた。日本人はその頃、著作権などについては何も言いませんでした。海賊版が違法行為であることは十分わかっていますが、日本人の描いたマンガを読んでもらえるだけで、ものすごくうれしかったのです。
 私は、一過性のものではないかと思っていたのですが、定着し、広まり、海賊版でもうけた会社が立派な出版社になりました。今はアジア各国で正式契約をする堂々たる出版社になっている。その中で何がうれしいか。例えば、「ドラえもん」のどこが可愛いかと、日本の読者に聞きますと、「あの健気さが可愛い」とか、「のび太君って本当にしようがないけど憎めない」などの感想が出てきます。そして、アジアの子供たちからも、日本の読者と同じ感想が出てきたことです。日本と近隣諸国の間でいろいろ話し合って解決できない問題が山ほどありますが、これはきっと使う言葉が間違っているのではないかと思いました。お互いに分かり合える、感性を共有できる土台はあるわけですから、マンガを共通語として、よりよい関係を深めていきたいと思うようになりました。
 そしてアジアでは定着してきましたが、今度はアニメーションの形でラテン系中心のヨーロッパに出ていきました。アニメーションに飛びついたヨーロッパの人たちが、この原作は日本のマンガにあることに気がついて、日本のマンガ本を輸入しようとしました。翻訳して見るわけです。ですから、マンガ本そのものは、まずアジア近隣諸国から広まっていった。アニメーションの形で広まっていったのが、ヨーロッパ諸国です。そして、ヨーロッパ回りで、最後にアメリカに到達し、アメリカ人は感動したわけです。今度は受け入れられたわけです。「何ですか、あなたたちは昔、日本のマンガなんてコミックではないと言ったではないですか」と言うと、「コミックだと紹介されたからコミックの常識で考えて否定した」と答えていました。最初からマンガだと言ってくれれば、アメリカン・コミックとは違う常識で成り立っているので、読もうと思ったかもしれないなどと言われました。ですから、下手な英語は使わない方がいいかもしれません。我が国の固有の言葉や表現は、堂々と胸を張って、我が国らしい表現の方がいいのかと思いました。
海賊版を通してアジアに晋及
 そのうちに、マンガ・アニメーションにとって、頑張れ、世界が認めてくれるぞという時代になってきた。その象徴的な話をします。あるアジア近隣諸国の漫画家に、「自分たちは小さいときに、これが日本のマンガの海賊版だとは知らないで読んでいた。知らないで読んで感動して、私もこういうものを描きたいと思って漫画家を目指した。夢は日本のマンガ界で描くことだ」と言われました。ところが、海賊版にいつ気がついたか。ここがポイントです。「我が国のマンガだと思っていたのに、日本のマンガと気づいたときはショックだった」と言われたのです。
 何がショックだったのかと聞くと、「我々は学校教育で、日本人は冷酷無比、非道、どうしようもない人間の皮をかぶった悪魔と教えられた。あんなひどい人間たちはいないということが頭にしみ込んでいた。ところが、日本人が描いたものに感動して憧れた自分がいるのがショックだった」と言うのです。「あの冷酷無比、残虐非道、この世の人間とは思えない日本人の描いたものに感動するなんて、僕は何というひどい人間なのだろう。日本人と同じ感性を持っているなんて恐ろしいと思って、すごく悩んでしまった」というのです。
 そんなこと聞かされては私たちも悩みます。根深いものがあるなと思います。一部の国ではかなりひどく、事実も、そうでない憶測も含めて、子供たちに教育が行われています。それを信じる純な子だったのです。その漫画家は、「でも、その後1週間ほど悩んで、僕はハッとした。そうか、こんなに感動する作品をたくさん描く日本人がいることは、日本人にも、こんなに暖かな気持ちの持ち主、優しい心の持ち主、きめ細やかな気配りの持ち主がいるのだ。とすると、僕が学校で習った日本人像が間違っていたのではないか。目からうろこが落ちた」と言いました。すごくうれしかった。マンガに関わってきてよかったと思いました。
 こういう形で日本の文化、日本人のものの考え方を理解してもらえるのは、とてもうれしいことです。それをべースに、近隣諸国の漫画家たちとのつき合いも増えてきました。マンガは、どこの誰が描いているのか分かりません。男か、女が描いているかも、年齢も実のところは分かりません。キャリアも何も関係ない。つまり、みんなで支える文化であり、だれにとっても平等な表現形態なわけです。ですから、アジアの漫画家たちがもっと日本の読者にその作品を知ってもらいたい、私たちももっと素直にアジアのみんなに日本の作品を見てもらいたいという意味で、「アジア漫画サミット」を立ち上げ、8年目を迎えようとしています。準備期間からは9年目でしょうか。各国持ち回りで、各国の漫画家らをお招きし、共同で展示会をやったり、フォーラムやシンポジウムを開いたりしています。
 1回目の「東アジア漫画サミット」は日本で開催しました。そのとき事務局長を務めましたが、本当に孤軍奮闘でした。何も分からないまま、失礼がないように、できるだけ多くのアジアの漫画家たちの作品を日本に知っていただきたい気持ちでいっぱいでした。経済的には大赤字で、帳面をごまかしながら今に至っています。それでも、大変いい企画で、回を重ねるにつれて多方面の理解もいただき、2002年の秋、また日本で開くことになりました。皆さんや団体などの協力もいただき、きちんとした形にしたいと思っています。
 アニメーションについても同様ですが、これだけの歴史があって世界に影響を与えている日本のマンガを、検証する博物館なり資料館がありません。海外からいろいろお尋ねがありますと、これまで個人的にできる限りの努力をしてお答えしてきました。しかし、そういう時代ではありません。資料館、博物館的なもの、あるいはデータを検索できる場を何とか整備したいと思っています。この際、世界に向けて発信できる機能も持ちたい。個人の美術館、資料館が日本でもできていますが、そことも連携を図れるようなものにしたい。そして、そこで出す資料については当然、著作権が発生しますので、原著作者に経済的損失が生じないような形でできたらうれしいと思っています。
 超人気マンガ「ドラゴンボール」は、世界の隅々まで発行されて、いつでも見ることができます。単行本、文庫、DVDにもなっている。ところが、一生に一作しか発表できなかった人もこの世にはたくさんいるわけです。一作だけ発表して亡くなってしまった人もいる。そういう人の作品は、単行本にもならず、出版社の倉庫で、一昔前の悪い印刷本のままで腐っていくかもしれない。遺族の方が原稿を持っていてくれればいいが、夫婦仲が悪いと、旦那さんが死んだら奥さんは捨ててしまう場合もある。「私そんなの知りません。あの人が勝手に描いたもので、紙くずだわ」と言って捨ててしまう。誤解しないでいただきたいのですが、こういうことがたくさんあると言っているのではなく、今のところ、ご遺族のお気持ちで原稿を大事にしていただいているという状態なのです。本当に一刻も早く、原作を保存する施設を整備したいと思っています。
 「マンガ・アニメーションを東京の顔に」し、その個性を出すことには、漫画家はみんな大賛成ですので、できる限りのことを身を粉にしてやりたいと思っています。
浜野 西村さんは、マンガの絶頂期をつくられたシンボルのような人です。その西村さんからお話をいただきます。
マンガ・アニメは誰のもの?
西村 里中先生が、マンガの先行きについてお話した内容は、まったくその通りと思います。私は、世界都市東京フォーラム「マンガ・アニメーションを東京の顔に」というタイトルについて、これでいいのかなという素朴な疑問を持っています。
 日本のマンガ技術は非常に進んでいて、ストーリー・マンガを中心に繁栄していることは間違いない。それをアジアの人たちが一生懸命読んでくれている。また、アジアの描き手の人があらわれてきていても、まだ日本の技術まで迫いついている人は少ないということも、日本として誇れる事実だろうと思う。ただ、マンガが、日本の出版界で顔になるほどのものかというと、まだそこまで至っていないと思います。量、数の部分では、確かに市民権を得ていますが、そのレベルまでやっとたどり着いたというところで、これから頑張らなければいけないジャンルではないかと思っています。現場を離れて、冷静な立場から見て、そう思っているわけです。そういう意味で、行政をはじめとする、いろいろな応援を必要としていることは間違いないと思うのです。
 日本のマンガが急激に発展したのは、昭和40年を境にして週刊誌が発行されるようになり、週刊サイクルで子供がマンガを読むようになった。それに、団塊の世代が大学生になって、そのまま引き続きマンガを読み続けたということと決して無関係ではない。私が仕事に携わった「週刊少年ジャンプ」が伸びたのは、団塊ジュニアの世代、その子供たちの世代を中心にしてのことです。団塊世代もそうでしたが、受験戦争で、受験勉強に追いかけられている子供たちの生活、その子供たちが友達もろくにつくれないような競争社会、管理社会に押し込められようとしてがんじがらめになっている子供たち。そういう子供たちへ何らかのメッセージを送り、何か手を差しのべたかった。そういうものが「少年ジャンプ」編集の原点にあって、子供たちのためにマンガをつくることがまずあったわけです。
 子供たちにとってどれだけ大事なものだったかというところで本をつくったわけですが、それがいつの間にか大人の世界にまで広がってしまった。そして不毛な部数競争が起こった。競争はあって当たり前ですが、勝った、負けたみたいな世界に私自身も編集者として突入してしまって、子供たちの目線のような原点を忘れてしまったのではないか。編集者として振り返ってみると、すごく自戒の気持ちが強いのです。もちろん、マンガの表現としては大人の世界があってもいいし、いろいろな世界へ向けての発信があっていいと思うのです。しかし、子供たちの目線に合ったマンガづくりへ、漫画家の人、編集者の人たちも立ち戻ってほしいと思いながら、子供たちにとって「世界都市東京」というものが何なのか、どんなことを期待するのだろうか、子供たちはどう思っているだろうかなどを問い直すなり、マンガで表現してもらうなり、子供たちに参画してもらうようなことができたらいいと、個人的な希望として考えています。
 流通では、書店で万引きが非常に多くなっているなど、いろいろな問題があるわけです。昔は子供が読みたくて、お金がなくて万引きした。それが今はお金が欲しいために万引きする。その対策に出版社も対応しなければならない状況になっています。
浜野 先ほど行政サイドに対する要望もありました。最近、経済産業省に文化情報関連産業課ができました。コンテンツの仕事をしている人にとっては非常に心強い、新しい課ができました。これまで、マンガ・アニメを産業として統括する部署がなくて、国はそんな見方しかしていないのかとひがんでいました。その担当の岸本課長からお話をいただきます。
テレビ局の権力乱用をただす
岸本 問題提起をさせていただきます。今までのお話をお聞きし、全体として私が不思議に思いましたのは、アニメ、マンガ(ゲームも世界一ですが除きます)が、世界一繁栄しているのに、何で振興策が必要なのか。これが全く分からない。
 世界一なら振興策は必要ないわけです。韓国の場合は、発展途上国で未熟産業を保護しているわけです。昔、日本が繊維産業を保護していたのと同じ意味で保護しているわけで、先進国の日本が、真似するのは恥ずかしいことだと思います。先進国のフランスが、映画監督にギャラを払った結果としてフランス映画は全滅してしまいました。行政に頼った瞬間に、その産業は滅びます。戦後50年、農林省に頼り続けた農業、あるいはゼネコンを見ていただきたい。全てそうです。タックスマネーは腐敗します。1990年頃から約10年、130兆円も公共事業に注ぎ込んだ結果がこの状況です。里中先生のように、「我々はサブカルチャーですから一切国の支援を受けていません」と胸を張ってやってこられたから、マンガもアニメも強くなったと思います。コンテンツとしては世界一です。しかし、何で現場の方は困っているのか。例えば、出版です。マンガも含めてトータルで4年連続売上げ減。1996年レベルに比べて10%以上のマイナスです。マンガもアニメーションも売上げが減っている。2001年はたまたま「千と千尋の神隠し」がありましたから別です。アニメも3〜4年前の水準より、2000年は1割ぐらい少なかった。ゲームも実はパッケージソフトは全然売れていない。これは文部省のゆとり教育のおかげで、子供が知的忍耐力をなくしたものですから、パッケージできなくなっただけです。パッケージソフトの将来は全くありません。たまたま2001年は「プレステ2」が値段を下げて、少しハードが売れているだけです。
 何で世界一のコンテンツを誇る産業なのに現場は困っている。経済産業省が目を向けていることは、現場が困っているのはなぜかということに対してです。アニメのプロダクションとテレビ局の契約書を見たら、すぐ分かることです。制作費がもらえないのです。しかも二次利用権、二次利用の窓口権などテレビ局が全部押さえている。ただ、会社によって違いますが、CS権、BS権、公衆送信権、インターネットの権利までです。もっとひどいのは、将来ありとあらゆる科学的な発展の結果生じる道具・メディアによってやれるものまで契約書に入っているのです。これは無効の契約書だと思います。
 テレビ局は強い。しかし、この人たちが片方で莫大なコマーシャル収入を得ている。昨年、史上最高の高収益を上げながら、アニメ1本の制作費にもならない費用で契約して、二次利用権から窓口権まで全部押さえている。これを直さない限り、日本のマンガ・アニメはうまくいくわけがないのです。そこで経済産業省は立ち上がりました。まず、契約書をきちんとする。余りにもひどい契約書に対しては、公正取引委員会がガイドラインを作っています。二次利用の窓口権まで契約書で取るのは、明らかに独占的な地位を利用した不当な経済行為です。中小企業庁は、中小企業庁の権限で公正取引委員会に持っていくことができます。独禁法に基づいて、非常に優越的な地位を乱用する事例については、これからは闘っていきます。「役務の委託取引における優越的地位の乱用に関する独占禁止法上の指針」が、平成10年3月17日に出ています。これはアニメを含むテレビ制作の事業者が対象になっています。私が契約書を読んだ限り、ほとんどの契約書の権利乱用は明らかです。あるいは、二次利用の窓口権まで含めると、著しく安い価格による不当契約です。
 今、経済産業省の「アニメ研究会」で、契約書のひな形をつくっていまして、来年出します。理想的な形を作りました。一方で、世の中のひどい現状を広報していきます。それで国民の皆さんに判断していただく。人材育成も、国や東京都が手伝ってはいけない。マンガやアニメ産業がもうかればいいのです。もうかれば、人材は育ちます。
 もう一つ、デジタルは不正コピーが簡単にできますので、ここは国が対策をとらなければならない。経済的な支援はしないと言いましたが、テレビ局と闘うときの後ろ盾にはなります。コンテンツのID番号をつけて不正コピーを防止する技術開発、これにはすごいお金がかかりますから、国のインフラ整備としてお手伝いしたいと思います。文化庁や旧郵政省と一緒にやりたいと思います。ただ、あくまでもブロードバンドの世界になったときのコンテンツは、エンターテインメントではないとは思っています。これは間違えないでください。エンターテインメントは、ブロードバンドではそんなに柱にならないでしょう。多分、地上波で見ることができるものを、お金を出してまで見ないと思います。パッケージの方が便利な部分もあります。むしろ教育です。教育だと誰でもお金を出します。ブロードバンドのコンテンツ、エンターテインメント系は月額で500〜1,000円ですが、教育は1〜3万円とっています。そして遠隔医療も含めた医療・福祉です。これはもちろん、制度改革、規制改革が必要です。それからEビジネスです。
 もう一つ大事なことは、バーチャルな世界だけでなく、リアルな世界の海賊版対策です。これは巨大な市場です。最初に海賊版が出たことによって期せずしてヒットした例があり、過渡期的には海賊版も悪くなかったと思うのですが、現在は相当失うものも多い。海賊版対策は国の仕事だろうと思っています。
 先月中国へ行き、来月は韓国へ行きます。日中韓、さらに台湾と香港を入れて、これらの文化産業の担当課長で、海賊版退治の定期協議を立ち上げました。これを、できれば2002年3月か4月に、北京あたりでやりたいと思っています。さらに、ASEAN諸国、中でもタイは結構大きいマーケットですので、巻き込んで海賊版対策をとろうと思っています。
 里中先生や山田区長がお話しした資料館等の問題ですが、デジタル・アーカイブは、公的機関がつくってもいいという気はします。なぜなら、歌舞伎、浄瑠璃の国立劇場、国立の能楽堂があるからです。今、日本がアジアでリスペクトされているのは、マンガ・アニメですから、浄瑠璃、歌舞伎、能、狂言と全く同じレベルで、公的機関が過去の作品を収集するとか、アカデミックな研究をすることについて支援する必要はあると思います。
 ただ、これもできることならば、公的機関が関係しない方がいいと思います。役人は大体、金を出すと口も出しますから、ろくなことはない。できれば日本財団のような団体からニュートラルなお金を出していただく。あるいは杉並区民がみんなでお金を出す。これからはそういう時代です。国は、660兆円も借金があって、小さな政府になるしかない。日本のGNPは500兆円しかない。GDPは、名目でマイナス成長です。仮に好景気で2%成長しても、GDPは10兆円しか増えない。これを全部税金で取っても10兆円ですから、未来永劫返せないということです。アニメは、財団とか市民のお金でやるのがいいと思います。
鷺巣 今、民放各社は、景気がいい。地上波は特に良い。民放も政府の許認可制下にあります。NHKは国の機関に近い。そのNHKは、アニメ制作会社に仕事を出しても、キャラクター使用量や著作権料は出さないのです。聴取料が安いなどの理由からです。民放ですら、著作権料はわりと出します。NHKはすべて抱え込む。民放よりもひどい契約書を書かせる。それを改善できませんか。
浜野 産業としては民間の努力だけの方が確かにいいのですが、文化は公的な財産です。誰もが共通に、特別の人だけが奪うことなく共有できるものが文化と思うのです。個人的努力ではだめな部分、例えばアーカイブなどです。その人の志があるときはいいが、その人がいなくなったらどうするか。そういうときに公的な部分が効いてくるということです。もう一つ、私が海外へ行って、ものすごく問題があると思うのは、流通の問題です。例えば、「ポケモン」がアメリカで86億円売り上げて、利益は数億円しか日本に戻ってこない。逆にディズニーが日本で86億円売り上げて、日本から3億円のリターンしかなければ、ディズニーは訴えてきます。アメリカは1918年から、大使館のアタッシェが、映画館の数や文化的バリヤーを調査して、ハリウッドに情報を流して国際流通を形成していった。そういった面については、公的な力がなくてもいいとは思わないのです。
岸本 基本的に、民間で必死にビジネスをやっている人と役人の能力を比べたら、役人の能力をほうが低いのですから、無理です。
山田 役人に頼ってはだめだと言うのでしたら、大幅に減税していただきたい。税金をたくさん取って役所には頼るなと言われても、金持ちは生まれないと思います。金持ちがたくさん生まれて、デジタル・アーカイブの資料館を建ててやろう、200億円出してあげよう、というような国になっていくためには、そういう税制にならないといけないと思うのです。
岸本 全くそうです。所得税を減税すべきだと思います。最高税率を下げていくべきだと思います。法人税も所得税と同じレベルで、下げる必要があると思います。一方で、コンテンツ業界の税金に対する不満がたくさんありますので、それを取りまとめて、財務省主税局に要求していきます。必ずしも、租税特別措置をつくってほしいということではない。普通の法人税とか所得税の取り扱いの中で、コンテンツ業界に対しては、差別とはいいませんが、少し取り扱いで不明朗なところもある。そういう問題をまとめて経済産業省として財務省主税局に交渉していくことはやります。
データの収集・保存を急げ
一般参加者 軍事ジャーナリストをしています。今までの議論は、納得する部分が多いのですが、クリエーターの問題を見落としている気がします。私自身も本を書いていますし、ゲームのシナリオをつくっていますが、個人で働く人たち、フリーランスの人間の地位が日本では非常に低い。それによって実害を受けるケースが多い。アニメとかマンガだけではないのですが、個人を大事にする、零細企業が法律的に闘えるような司法のシステムをつくっていくことを国にお願いしたいと思います。
一般参加者 現代マンガ図書館をやっています。アニメーションセンターやマンガ資料館のお話が出ましたが、これは当然公的機関がやるべきだという意見です。
 現代マンガ図書館を始めて25年目になります。25年経つのでかなりの資料が残っている。ところが、建物が狭くて、もう収容し切れない。書庫の中は、足の踏み場がないという状況です。こだわりがあって始めたので、どんなものでも集めていこうという姿勢です。図書館と名乗っていますので、無料だと思ってくる利用者の方が圧倒的に多いのですが、一応、入館料と閲覧料として何百円かいただいています。自分のビルだから何とかやっていますが、資料の購入費が膨大です。家賃を取っていた部屋をつぶしながら書庫にしているなどいろいろな問題があります。
 最近はマンガ喫茶が増えました。マンガの隆盛の現れと思って、昔の貸本屋が増えたように、いいことだと思います。しかし、読み放題というキャッチフレーズが効き、うちのお客さんが流れてしまう。新刊はそこで読めば、うちまで来なくてもいいという感覚です。当館は1冊ごとに100円ですが、読み放題の方が安いと思い込んでいるお客さんが圧倒的に多い。マンガ喫茶は、1時間400〜500円で、時間が超過すると追加料金を取られる。読み放題というが、じっくり頭に入れて読んだら、1時間に1冊ぐらいしか読めない。速い人で2冊ぐらいと思う。それが、読み放題という言葉のマジックにかかって大量に読めるような気がするのです。
 2001年に、「マンガ学会」ができました。私は資料収集保存データベース作成の理事です。何度か資料分科会を開き、例えば、広島図書館、川崎市民ミュージアムなどの施設の人たちにも集まっていただき、資料の保存状況を調べてもらいました。どこも、マンガの単行本は数万冊は集めています。しかし、マンガ週刊誌のバックナンバーなどは、全くと言っていいほど、保存されていません。「ガロ」や「コム」とか、歴史に残るような雑誌で手に入ったものは、保存しようという姿勢はあるようです。有名なものはどこにでも残りますが、一般的な読み捨ての週刊誌などをこつこつ集めていかないと、残らないのではないかと思っています。
 そういう危惧があり、早く施設建設をお願いしたい。
浜野 西村さん、出版社などの保存状況はどうですか。
西村 「週刊少年ジャンプ」に関しては、創刊号から合本で、編集部資料用として残っています。でも1部だけです。年間50冊以上になるので、個人では持ちきれないと思う。さらに、「おもしろブック」を探すとなると、社内の倉庫のどこかにあるだろうという程度の認識で、まだ探し切れていないはずです。
浜野 海外からのお客さんで、マンガやアニメの資料を見たい人がすごくいます。特にアニメーションは、海外の人はビデオしか見ていない。大きなスクリーンで見たいと言う人が多い。スクリーンでも35ミリの海賊版でしか見ていない人も多いから、ビッグスクリーンで見たいと、韓国をはじめ海外からいっぱい来られるわけです。でもスクリーンで見るシネマテープが、全くないのです。テレビ画面と大きなスクリーンでは、迫力が違います。海外からの研究者やアーティストが来られて、スクリーンで古典作品、例えば、「くもとチューリップ」を見たい、宮崎さんの新作を見たいといっても、見ることができない。
里中 図書館ももちろんですが、作者たちにとって大きな問題は、マンガ喫茶あるいは新古書店です。全く、印税が発生しないわけです。単行本は初版しか出ないという状況です。私たち漫画家は、戦後のある時期から原稿料の単価が全く上がっていない。印税もずっと一律です。それで潤っていた頃はいいのですが、大変苦しくなってきました。余力のある人はいいのですが、若者たちにとって、あの世界に入って成功すれば、カリブ海に別荘を買えるとか、たとえウソでも夢の原動力の一つなのです。日本はそういう社会ではない。社会主義国のように、ある一定以上、絶対もうけてはいけません、あなたは悪いことをしているのだから、税金を納めなさいみたいなことになっている。若くて元気なうちは、夢がありますから頑張れます。しかし、何の保障もない世界で、果たして勇気を出して入ってくる人たちがどれだけいるか、暗澹たる気持ちになります。みんな、お金目当で漫画家になっているわけではないのですが、お金は、あれば便利です。外国と比べて、私たちは何と貧しいのだろうと思います。アメリカでしたら、漫画家が連載を1本持っていれば、「どうしたのかしら。この人、何か悪いことしているのではないか」と思うぐらい、良い暮らしをしています。重ねて言います。いい暮らしをしたくて、マンガの世界に入りたいと、若者たちは思っているのではないのです。自分が満足のいく表現を実現するためには、制作費が必要なのです。制作費にも困るような現状を何とかしてほしいというだけです。制作費になぜ困るか。もうけたときのお金をがっぽり税金に取られるからです。今後の制作費として潤沢に使えれば、どんなにありがたいことか。税制って大切だと思います。国民全員が今、税金を払いたがらなくなっている。これは税が正しい使い方をされていない。みんなが納得する使い方をされていないからです。国に資金を援助してもらうことではなく、税制を何とかしてほしいのです。みんなで気持ちよくもうけて、それを気持ちよく自分たちの表現、あるいは見てくださる人に還元したいという、ただそれだけのことです。
一般参加者 お金は大きな問題と思います。普通、他のソフト産業を考えますと、例えば、プロ野球やプロゴルファーだと必ず交渉力を持つ代理人などがいる。イチロー選手などのプロたちは大きな金をとれるわけです。なぜ、マンガ・アニメの世界では、作者の付加価値を産む人たちがいないのか。役所が原因なのか、自分たちが交渉力ある人間を持つだけの戦略を持っていないのか、私が代理人になってあげましょうという人たちが来ないのか、どうなのでしょう。
日下 それは成功報酬の問題でしょう。弁護士に成功報酬を払うアメリカの制度でやればいいのかもしれません。それか、優越的地位の乱用は認めないことなどと合わせてやっていくかです。
レコグニションを上げることが大切
里中 創作をしている者、漫画家などが交渉に弱いのは、知識がないからです。代理人交渉などができればいいのですが、日本の野球社会の人たちやマスコミは、「あの選手は金目当てなのか」と、すぐ叩きます。私たちのマンガ界ではどうなるか。恐らく、代理人は出版社から信用されないと思うのです。あの漫画家は、変なマネージャーに騙されて、金を横取りされるのではないか、連れてこない方がいいという話が、長々と続くと思うのです。出版社の中に編集部があり、編集部の中にマンガ担当者がいて、そういうところと“情”でやり取りする部分が非常に多いわけです。その両者の間に誰かが入ることは、形としてはまだ不自然であると受け止める人が多いのではないかと思うのです。ただ、外部との交渉のときには別です。私たちは世の中の仕組みも知らない。本当に世間知らずが多いですから、かえって相手に失礼になりますので、きちんと話のできる人がいた方がいいと思うことはよくあります。漫画家が出版社と交わす契約書には二次利用、三次利用、電子出版などの項目が全部入っていますが、ろくに読みもしないで判を押す人がほとんどです。契約書をよく見て、自分が納得してから判を押しましょうと後輩にアドバイスしても、そんなことも分かっていない。このようにルーズな社会ですから、代理人などはいたほうがいいと思います。プロデューサー的な人、代理人みたいな人材が欲しいと、ときどき話に出ます。そういう人たちが育ってくれないかという声は漫画家の間にあります。野球の世界で、メジャーの様子をあれだけ見ているのに、いまだに日本のプロ野球選手は代理人をつけませんが、マンガ社会はもっと年月がかかると思います。その壁を突き破るためには、アニメーション契約のひな形となるような契約書をマンガ社会にも見せていただきたい。目を開かせてほしいと思います。出版社の編集者も、人の好い人が多くて、外部との交渉になると、漫画家と一緒くたになってしまっている場合が多かったりするのです。だから、出版社の中での人材育成も大事だと思います。出版社でもマンガ担当者がそのまま管理職になった場合、経理畑や営業から来た人たちと、全然違うのです。今後は社員、社長でも、いろいろな意味で契約とか、自分の責任の範囲を示していくことが大事になってくると思います。
西村 確かに、制作の立場と交渉ごととは違います。一般的に、漫画家と担当編集者が一体となって作品をつくっていくので、担当編集者が交渉の窓口のようになっている場合が多い。ただ、担当編集者は、片足は会社に突っ込んでいるわけですから、会社の利益の代弁者でもあり、漫画家の利益の代弁者でもあるという中途半端な立場です。私もかつて、所属長から、「おまえは会社から金をもらっているのか、漫画家から給料をもらっているのか」と怒られたこともあります。大手出版には、徐々に、版権的な交渉を専門にやるセクションができてきている。結局、著作権の問題などは、そこで交渉してもらう形です。テレビアニメになるとき、初期のころは一方的にテレビ局に有利な契約だった。それをきちんと、原作者を保護するような形の契約持っていくための交渉をするセクションは一応、できました。しかし、代理人を利用するところまではいっていないと思います。マネージャーがいる漫画家も、何人かはいます。ただ、大体、身内がマネジメントしていますから、代理人としての能力は、その人のキャラクターによって違ってくると思います。
一般参加者 2001年7月に、「少年画報大全」という本を出版しました。紙芝居の「黄金バット」から始まってマンガがどのように発展していったか、マンガがどのように少年雑誌で発展してきたかという歴史について述べさせてもらいました。「赤銅鈴之助」のマルチメディアな展開はどのようなものか、女優の吉永小百合が感動した話なども載せてみました。集英社は非常に革新的な出版社で、新しいものを次々に作っていった。しかし、過去の財産について振り返ることを、出版社自体はやってこなかったのではないかと思います。今回、「少年画報社」の過去の業績を振り返った際にも、失なわれている本が何点かあった。同社の創業時の単行本であった「黄金バット」さえも見つからない騒ぎが起きました。半年かかって見つけましたが、各出版社のマンガ本の保存の仕方には問題があります。日本のアニメーションも、古くは「のらくろ」の時代からあります。その歴史について書かれた「日本アニメーション史」という本がありますが、そこに載っているデータの戦前の部分はほぼ半分くらいしかない。残りの半分は、私の知っている人が持っていました。その「日本アニメーション史」をつくった人と、資料を持っていた人の仲が悪かったために、残りの掲載されていないアニメーション・データは一切無いことになっていました。白土三平の紙芝居も、私は持っている人を何人か知っています。それを発表するには、出版社が乗ってこなければ本は出せません。いろいろ歴史について発表することはできるのですが、それを保存しておこうという動きはまだまだない。日本で「バットマン」を最初に紹介したのは「少年画報社」です。デービッド・マッツーケリという「バットマン」を描かれた側の人が2000年に来日し、知り合いました。「バットマン」が日本で発表されています、と現物を見せたところ、非常に喜ばれました。外国からの研究者がたくさん来ても、日本の窓口となるような場所がないし、受け入れる施設がない。この現状を何とかしていただければと思います。
浜野 アメリカは、映画についてのフィルム・アーカイブの法律をつくりました。毎年20本ずつ“国宝”扱いにする。国宝に選ばれたら、無条件でベストのプリントを国会図書館に収めなければいけない。ケネディの暗殺シーンを撮った8ミリを収めないといけないというので大変な騒ぎになりました。法律ですから強制です。結局、国が、日本円換算で3億円払って、ケネディ暗殺シーンを撮った8ミリを納めさせた。法律まで制定して、最善のネガフィルムを納めるということまでするのです。
 今回のフォーラムは、これで終わりではなく、最初の一歩ということです。また、機会を作りたいと思います。一つ参考になることがあります。アメリカは、60年代のベトナム戦争でハリウッド映画がだめになったとき、政府がアメリカ映画協会をつくりました。アメリカ映画協会の3つの目標が、「人材育成、アーカイブ、レコグニション」の三つでした。レコグニションとは、映画への評価を高めて、認識を高めることです。知らない間に、日本の優れたストーリーを真似されたりしていますので、認識を深めるための試みをいろいろしなければいけません。レコグニションを上げていくことが最初の一歩ではないかと思います。








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