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III NTSBの海難調査
1 NTSBの成立経緯
 NTSB(National Transport Safety Board、米国家運輸安全委員会―以下、NTSB又は委員会という。)の創立は1966年4月である。この年、すでに国民総生産の6分の1を占める巨大産業に発展し、しかも国内最大の雇用源の一つであった運輸がいかに公共の福祉と公益にとって重要かを再認識したアメリカ連邦政府は、運輸関連の政府組織の統合を図るべく、「運輸省設置法」(Department of Transportation Act, Pub.L. 89-670: 80 Stat.931,935)を制定し、新設の運輸省(U.S.D.T.O.)の内部に独立連邦行政機関として「NTSB」を創設した。そしてこれを機に、それまで航空機事故の原因調査を担当してきた民間航空委員会(Civil Aeronautics Board:CAB)を廃止して、新設のNTSBに航空事故調査義務を承継させるとともに、新たに、鉄道、ハイウェー、パイプライン及び海上交通の4つの地上運輸の事故調査義務を併加するという発展的組織改革を実現した。
 かくて、NTSBはすべての輸送モードに関する米連邦唯一の事故調査機関として重い責任と多大な期待を担ってスタートを切ったが、しかし当時はあくまで運輸省内の一組織に過ぎず、人事、予算は運輸省に従属し、事故調査の運営も運輸省のスタッフに頼らざるを得ないという状況であったから、それが理想とする姿とは程遠いものであった。そこで、1974年、アメリカ連邦議会は、新しく「独立安全委員会法」(Independent Safety Board Act of 1974, Pub. L.93 633-670: 88 Stat. 2166)を制定して、運輸における安全を促進すべくNTSBを運輸省から完全に分離し、また他の連邦の行政部各省ないし委員会からも切り離された存在とし、翌1975年4月1日をもって、NTSBは唯一連邦議会にのみ責任を負う真に完全な独立政府機関となった。
 1974年の運輸安全委員会法の前文には、連邦議会が何故にNTSBを独立機関たらしめるかの理論的根拠が次のように明瞭に述べられている。
 「この委員会(NTSB)に課せられた責任を正しく遂行するためには、他の政府機関の規制下に置かれている運輸手段に関わる事故を徹底的に調査することが必要である。それらすべての政府機関の業務や規則を継続的に審査し、評価し、査定することが必要である。そして場合によっては、それら政府機関又はその職員に対して批判的又は不利益となる結論や勧告をも発することが要求される。いかなる連邦機関であれ、合衆国の他の省、局、委員会又は機関から完全に分離され、かつ独立していないかぎり、そのような機能を適切に行なうことはできない。(49 U.S.C. §1901)」
2 NTSBの組織・業務
(1)組織
 NTSBの本部はアメリカの首都ワシントンDCにある。(49 CFR§800.5)。ほかに、アメリカ全土に地域事務所(Regional office)が6か所(航空、ハイウェー、鉄道関係)、フィールドオフィス4か所(航空関係)がある。職員数(常勤)は本部、地域事務所・フィールドオフィス(Field Office)を合わせて381名であり(1997年度)、連邦政府機関の中で最も規模の小さな機関の一つである。年間予算は1998会計年度要求額で約4,600万ドル、国民の一人当りにして年間わずか18セント程の負担で賄うことができる額であると説明される。1997年現在におけるNTSBの組織体制は、別図Iの通りである。
別図I
NTSB組織図(一部省略)
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 NTSBは、任期を5年とする5名の委員(Board Member)から構成される。(49 CFR§800.2)全員が専任常勤で兼業は許されない。NTSBの正式意思決定はこのボードメンバー5人の合議(定足数は3名以上の委員の出席)で決定される。ボードメンバーは大統頷が連邦上院の助言と承認を得た上で直接任命・解任する。委員会の中立・公正を期するため、同一政党から3名を超える委員が選任されてはならない。また、委員会の専門性のバランスを考慮して、常にボードメンバーの中には、事故の復旧、安全技術、ヒューマンファクター、運輸の安全性又は運輸に関する規則といった分野についての技術的資格、専門的地位及び証明された知識に基づいて任命された委員が少なくとも3名は含まれていなければならない。この委員の中から大統領が上院の助言と承認を得て委員長(Chairman)1名を選任し、さらに大統領により副委員長(Vice Chairman)1名が選任される。(49 CFR§800.2)
 委員長及び副委員長の任期は2年である。1997年当時のボードメンバーは、委員長James E.Hall(1993年メンバー就任、1994年委員長就任)、副委員長Robert T.Francis II(1995年就任),John A.Hammerschmids(1991年就任、再任),John J.Goglia(1995年就任),及びGeorge W. Black Jr.(1996年就任)である。なお、2001年1月と9月に、副委員長、委員長の職に異動があり、新副委員長にはMs. Carol J.Carmody(2000年6月メンバー就任)が、第9代目委員長としてMs. Marison C.Blakey(2001年9月メンバー就任)が就任している。
 委員長はNTSBの管理上の最高責任者であり、NTSBが雇用する職員の任免・監督、職員相互及び各行政機関相互の職務分配あるいはNTSBの基金の出費の監査など業務全般を統括する。(49U.S.C. §1111(a)−(e)(2000))。
 ボードメンバーの下部機構は、大別して、11の局(Office)、それに新設されて間もないコミュニケーションズセンターと15の部(Division)があり、その下にいくつかの課(Branch)及び地域事務所が配置される。もっともNTSBの実務担当組織はしばしば改編されてきており、決して恒常的なものではないことに留意する必要がある。以下に主なる部局を概略紹介しておく。
[1] 「事務局長」(Office of the Managing Director)は、NTSB委員長の職務の執行を補佐する部局であり、委員会の企画、日常業務について責任を負う。また立法業務、経営責任者の秘書業務及びプログラム目標の分析なども行なう。
[2] 「法務局」(Office of General Counsel)は、NTSBのリーガルアドバイザーとして同機関の法政策決定につき責任を負う重要な部局である。委員会が運輸事故の調査、推定原因の決定、及び運輸の安全に関わる問題の研究などその法律上の義務を遂行するにあたり助言、援助及び代表する。委員会の見解から持ち上がった上訴に関し合衆国裁判所において委員会の代理人となり、また委員会の命令の実施、過料の徴収等に関して委員会の代理人となる。また、船員、飛行士・整備士の免状の行政処分に関する上訴の再審理手続において委員会の法律顧問として委員会を助言、援助する。
[3] 「政務・広報・家族支援業務局」(Government, Public and Family Affairs)は、NTSBの業務、プログラム及び目標などを公衆、議会、地方公共団体、運輸業及び報道関係等に発表・説明する公式のスポークスマンである。NTSBと全てのマスメディアとの重要な連絡ラインであるとともに、そうした報道事項に関して委員長やボードメンバーに助言を行なう。
[4] 「コミュニケーションズ・センター」は、1996年にニューヨーク州沖合で発生したエジプト航空機TWA800便墜落事故の経験と反省を踏まえて新設されたばかりの機構である。NTSBへの事故通報の窓口であり、また事故現場への調査官の派遣手続、現場調査における情報のNTSB本部への集約、記者会見その他マスコミヘの必要な発表、連絡等を統括する。近年は、これらに加え新たに事故犠牲者の安否等に関する情報提供、家族のプライバシー保護、事故現場へ向かう手配など事故犠牲者の遺族に対する物心両面の支援業務も担っている。
[5] 「行政法審判官局」(Office of Administrative Law Judges)は、民事罰(civil penalty)及び証明書の取消又は停止に関する手続を含むべく改正された1958年連邦航空法(Federal Aviation Act:FAA)の下で発生する全ての公式手続、及び飛行士(airman)の証明書の発行拒否、取消・停止などの行政処分に対する不服申立を扱う部局である。行政法審判官は、罰則付召喚令状(subpoena)を発行したり、宣誓を執行したり、予備審問(prehearing)を開いたり、関係証拠を集めたり、手続的要求や申立について決定を下すなど事実審裁判官の役を務める。行政法審判官は、証拠を分析して最初の決定について準傭し、また審問を通して提起された争点の実体的事項(merits of issues)を決定する。これらは上訴手続がとられなければそれが委員会の最終決定になるし、もし上訴がなされた場合は、ボードメンバー全員による意見又は命令をもって、最初の行政法審判官の決定を支持するか、破棄するか、もしくは一部修正した決定が下されることになる。
[6] 「安全勧告・業績局」(Office of Safefy Recommendation and Accomplishments)は、すべての輸送モードにおける安全を高めるべく勧告を発する。いうまでもなく安全勧告は、NTSBの事故調査、データー解析及び研究から進展したものである。
[7] そして最後に、NTSBの委員長に直結するかたちで、すべての運輸事故の調査を担当し、その他重大事故についての公聴会の開催や事故調査報告書の公開準備、安全勧告の作成などを行なう運輸安全担当部局として、航空安全局、海上安全局、ハイウェー安全局、鉄道安全局の4つの局がある。
 
 1997年10月のNTSB組織改革の結果、従来、航空安全局と対置されていた地上運輸安全局(Office of Surface Transportation Safety)を廃止し、同局内にあった5つのディビジョンのうち4つを独立させ、同時により機能的な調査を可能にさせるべくその全てを航空安全局と同等の局レベルに格上げしたのである。NTSBの最大の任務が事故調査による事故の原因解明と安全勧告による事故の調査の再発防止にあるとするなら、これら事故調査担当部局はまさにNTSBの核に相当しその生命ともいうべき重要な機構である。
 以下では、こうしたNTSBの事故調査担当局のうち、海難ないし船舶事故の調査を専管する海上安全局(Office of Marine Safety)に的を絞り、その事故調査の業務と方法について明らかにしていく。なお、本稿の記述及び統計などは、基本的に調査時の資料に基づいている。
 
(2)業務
 NTSBの機能・職務に関しては、連邦制定法の委任を受け連邦政府が公布した連邦行政命令集(CFR)の第49巻[運輸]第800章[NTSBの組織・機能]のサブパートAに次のような規定がある。
 「委員会(NTSB)の主要な職務は、運輸の安全を推進することである。委員会はすべての運輸事故を調査し、事実、状況及び事故の原因又は推定原因を決定する。…運輸事故の再発可能性を減少させるべく、連邦・地方当局・私的団体に対して運輸の安全に関する勧告書を提出し、運輸の安全に関わる研究と特別の調査を行なう。…事故後、犠牲者とその家族を支援する国家の方策にコーディネートする。…連邦航空局(FAA)の行政官による飛行士の免状の申請拒否・停止、取消又は民事罰、及びコーストガード(USCG)長官による船員の免状の停止・取消の決定に対する上訴に関する再審理を行なう。(49CFR§800.3)」
 まず、NTSBの最大の任務としては、広く運輸に関する事故についてその再発防止の観点から徹底的に調査を行ない、事故の原因又は推定原因=相当の原因(probable cause)を解明、決定することである。こうした事故調査との関連でのNTSBの業務は実に広範であり、
[1] すべてのアメリカ民間航空機の事故、
[2] 5名以上の死亡を伴うハイウェー事故(鉄道線路の踏切事故を含む)、
[3] 旅客列車が関係するか死亡又は甚大な財産損害を伴う鉄道の事故、
[4] 死亡又は環境への重大な侵害ないしは甚大な財産損害を伴うパイプラインの事故、
[5] 公用船とそれ以外の船舶が関連した一定の海難又はUSCGの安全職務が伴う重大な海難、
[6] その他、人又は物の輸送に関連して発生した事故で破局的か再発のおそれがある事故、
に及ぶ。(49U.S.C. §1131(a)(1)(F))。そして、事故調査の結果は報告書(Report)の形で纏め公表する必要がある。(49U.S.C. §1132)。
 次なるNTSBの重大な任務は、運輸の安全に関する勧告(safety recommendations)を作成し、被勧告機関である連邦、州等の関係政府機関及び民間運輸関係者などに対して遵守の勧告や改善提案をなし、かつ、その受容実施につき継続してフォローアップすることである。
 以上のほかにも、NTSBは、運輸安全問題の特殊研究(1997年度では近年国民の間に急速に普及し、また事故の発生形態が特異な小型舟艇(プレジャーボート)の安全問題について特殊研究が組まれた。1997年報告書)や調査、事故調査の技術・方法の検証、他の政府機関の運輸安全の有効性についての評価・検討、危険物質の輸送に伴うセーフガードと手順の適正さの評価なども職務として行なう。(49U.S.C§1116(a),(b))。いずれも運輸の安全を高め、事故の再発防止の目的を達成するための手段であるが、近年そうしたNTSBの伝統的な任務とまったく異った新しいタイプの職務が追加された。それは、航空機事故その他破滅的な運輸事故に巻き込まれた乗客等の家族や生存者に対しNTSBが航空会社等との連絡役となりメンタルケアその他さまざまな家族支援サービスを提供するという業務である。この新たな任務は、1996年航空災害家族援助法(Aviation Disaster Family Assistance Act of 1996, Pub.L. 104-264)及びそれを補足する1997年外国籍航空機家族援助法(Foreign Air Carrier Family Support Act of 1997, Pub.L. 105-148)の2つの制定法を根拠とするもので、もともと航空機事故を想定した任務であり法律であったが、その後、立法の趣旨から航空機事故以外の地上・海上の重大事故の場合にも適用拡張されることとなり、一躍世界の注目を浴びている。
 最後にもう一つ、これも創設時からの主要な業務として、NTSBはUSCGの長官及び連邦航空局(Federal Aviation Administration;FAA)による船員、飛行士・整備士の免許、証明書等の停止、取消など行政処分を不服とする上訴に関し、いわば“控訴裁判所“として再審理を行なうという職務がある。
3 NTSBの海難調査
(1)背景
 アメリカと外国との港間及び数万マイルの内水路において展開されるアメリカの水上輸送は、年間7,900億トンマイルに及び、その雇用者数は約20万人といわれる。国内には州登録のレクリエーショナルボートが推定数1,200万隻、レクリエーショナルボーター7,800万人といわれ、年々増加の傾向にある。旅客船は、ほんの一握りの数のアメリカ登録船と年間約400万人の旅客を運ぶ外国登録客船約140隻が国内外で運航する。フェリーボートの乗客も年間2億7,000万乗客マイルに上る。商業用漁船は11万800隻である。(1997年度統計)。
一方、海難の発生件数では、商船が関係する事故が年平均約4,000件、レクリエーショナルボートが関係する事故が年平均6,500件であり、これを死亡事故でみると、年間総数870人(内訳は、レクリエーショナルボートが800人、貨物運送船が16人、商業漁船が54人)であり、ハイウェー・鉄道・航空などを含めた運輸全体の死亡者総数44,603人の約2%にあたる。(1997年度統計)。
 
(2)海上安全局
 NTSBにあって、事故再発防止と輸送の安全性向上の目的の下に海難ないし船舶事故の調査に直接あたる部門が、「海上安全局」(Office of Marine Safety)である。現在、海上安全局は、「大事故調査課」(Major Investigations Branch)と「技術サービス課」(Technical Services Branch)の2課をもつ。海上安全局による海難の調査は、専らNTSBのワシントン本部事務所において執り行なわれる。海上安全局については、航空、ハイウェー、鉄道の他調査部門のような地域事務所は設置されず、またフィールドオフィスヘの海事要員の配置ということもないから、その事故調査の実施は、専ら海上安全局の大事故調査課に所属する少数精鋭の専門調査官(スタッフは海軍、USCG、企業等の職歴をもち、また船長、船舶機関士の有資格者や海事経験豊富な造船工学者、ヒューマンパフォーマンス、サバイバルファクターの専門家などから成る。1997年現在は10名)が当る。
 
(3)調査の客体
 合衆国における海難の原因調査については、すでに前章において考察した米国コーストガード(U.S. Coast Guard,以下、USCGという)が、アメリカ籍船舶(ただし軍艦等の公用船を除く)、外国籍船を問わず、合衆国内の可航水域上で発生した全ての海難もしくは事故、又は何処で発生しようともアメリカ籍船舶が関係した海難もしくは事故に対して行なう予備調査がある。その調査対象海難の数は年平均約4,000件(1997年度では約5,000件)とされる。
 NTSBもまた、合衆国の領海内におけるアメリカ籍船舶及び外国籍船が関係する海難の調査、並びに国際水域におけるアメリカ籍船舶が関わる海難に関し調査権限を有する。すなわち、同一の海難についてUSCGとNTSBの二つの行政機関がそれぞれ独立の調査を行なう体制が存在するということである(ただし、法は可能な限りで重複を避けるべしとする。46CFR §4.40-3(b),49CFR§850.3(b))。
 NTSBが調査対象とする海難は、
[1] いわゆる重大海難(major marine casualty)と称される重大かつ安全問題が関係する事故
[2] 公用船(Public vessel)と非公用船(=私船)に関連する衝突その他の事故で、1名以上の死亡又は75,000ドル以上の財産損害を伴う事故
[3] USCGと非公用船に関連する事故で、1名以上の死亡又は75,000ドル以上の財産損害を伴う事故
[4] USCGの安全業務(例、船舶交通サービス、航行援助施設、捜索救援活動)等に関連する重要な安全問題に関わる重大海難に限られる(46CFR §4.40-15, 49CFR 850.15)。
 いわゆる重大海難については法令に定義があり、公用船を除いた船舶に関係する事故で
[1] 6人以上の死亡事故
[2] 100総トン以上の自航船舶の全損
[3] 当初の評価額が50万ドル以上の財産損害事故
[4] USCG長官が決定しかつNTSB委員長が同意したもので、人命、財産、環境を脅かす重大な有害物質の流排出事故とされる。(46CFR §4 40 5(d), 49CFR§850.5(e))。
 
 重大海難ほか上記4つのNTSBの調査対象海難は、USCGによる海難の予備調査の中で明らかにされ、USCG長官からNTSBに対して通知される。(46CFR §4・40-10)。もっとも、NTSBは通知された重大海難等の全てにつき調査義務があるわけではなく、その中から最も重大な安全問題に関わる事故だけを選択して調査を行なえばよい。1997年度でみれば、USCGによる予備調査が行なわれた約5,000件の事故のうち、いわゆる重大海難たる基準の一つを充たした海難は1%相当の50件ほどであり、そのうちの10件についてNTSBが調査を実施したとされる。(1997年度統計)。








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