先生と子供の系で学校というシステムができ上がっていた。総合の学習はこの3つが一緒にならなければいけない。だから、ア・スクールが実はザ・スクールズぐらいに広がった上で、そんな英語にならないですけれども、そして、中心はあくまでも子供である、子供の群れであるというふうになると、先生の群れとか博物館の群れというのが、社会の群れというのがそういうふうにレスポンスしていくと、総合の学習というのは基本的に成り立つ。それの後は、かかわり方をいかに多様性を発揮し、その自主性、それは地域性というのがさっき出ました。都会型と地方型とありますけれども、そして、地方でやったことが都会でどうなるか心配だということも含めまして、その場というものが当然あるわけです。群れには場があるわけです。だから、場をどう認識するかということがテーマになるだろうと個人的に思うようになりました。
ですから、ミュージアム・スクールというのは僕は成り立つと。ただし、博物館の内の中じゃなくて、学校の中でもなくて、つまり博物館とミュージアムとがくっついたものでもなくて、足し算でもなくて、全体がスクール・オブ・ミュージアムズと。ミュージアムというのは、学校自身もビオトープをつくろうという方もいらっしゃるわけですし、いろいろなこともあって、それ自身が博物館。もう少し言えば、博物館的発想というものがあるわけです。悪く言えば仕切りがなくて雑学的になる。昔で言う博物学者的になりますけれども、そうじゃなくて、もう少し社会体制として文科、理科の枠を越えた中での博物館的発想というものが、博物館という建物、学校という組織、そして、社会というばらばらなように見えるところを包んでしまうような、そういう成り立ちが、抽象的になりますけれども、今回のこういう会合を開かせていただいたときのまとめとしてというか、僕の感想としては、そういう言葉を思いつきましたので、お魚でごまかさせていただきました。
皆さんからいろいろ教えていただきまして、僕もこれは文章にするときにはもう少しまじめにやりたいと思っていますけれども、きょうは博物館のスクールというのを皆さんにお伝えしたいと思います。どうもありがとうございます。