「忌む」という字は「己」の「心」と書くのです。己の心というのは、私の心、皆さんお一人おひとり、日本人の一人ひとりの心の根深く巣食っている心、それが「忌む」という心だと思うんですね。そういう意味で、なにか国民的にはびこっている根深く巣食っている心、それがやはり死を忌む心ではないかというふうに思うのです。
しかし、死というものが確実に訪れるわけですから、私はやはりこれを真剣に向き合って考えてみるということが必要ではないかというふうに思います。ホスピスで今まで2,500名ぐらいの方を看取りましたけれども、死を全然準備なく、死というものを考えたことのない人が初めてかかった病気が死に至る病であったというそのような場合に、本当にその人は慌てふためくといいますか、非常に受容していくのが困難になる人が多いので、今日私たちの話をきいてくださっている皆様方の中で、特に一般の方が、医療従事者も含めてですけれども、やはり自分の死ということをしっかりと考える必要があるのではないかということを思います。
で、私いつも講演会の中でよく二つの勧めというのをするんですが、一つは「誕生日に死を想う」というお勧めであります。それから二番目は「結婚記念日にがんを語り合う」というお勧めです。ちょっとへんな勧めかもわかりませんが、これ非常に重要でして、この世に生を受けたものは例外なく死を迎えるという、そういう意味から言えば、自分の生まれた誕生日にしっかり自分の死を考えるということ、死に備えるということ、それはとても重要ではないかと思います。大きな学校や病院では年に一度火災訓練日というのがあります。これは火災が起こるということを想定して、ときには消防署から専門家が来て、どこに消火装置があるか、病院の場合には患者さんをどこからどういう方法で安全に外へ搬出といいますが、移動させるかというようなことを、実地の訓練をいたします。これ、火災訓練日というので年に一度ありますね。だいたい学校でも病院でも火災の発生率というのは限りなくゼロに近いのです。ほとんど発生しないのですね。限りなくゼロに近い発生率の火災に対して年に一度心の備えをするわけですから、100%発生する死ということに対して年に一度も備えをしないというのはどう考えても不合理だと思うのですね。ですから私はそういう意味で、発生率が少ない火災ですら心の準備をするので、発生率100%の死に対して年に一度、忘れないように誕生日というのをそこにのせるといいますか、誕生日に死を想うということをお勧めしています。
それから3人に1人はがんで死を迎えるということを言いましたが、統計的に夫婦のどちらかががんになる確率というのは、限りなく100%に近づきつつあります。ですからご夫婦でどちらかががんになるという確率が高いので、ご夫婦の中でがんに一方がなったときには、告げるか告げないか、どのへんまでがんばって治療を受けるか、具体的にどこの病院で治療を受けるか、うまくいかなければどこで死を迎えるか、自宅で死ぬのかホスピスで死ぬのか、一般の病院へ入院して死ぬのか、というところぐらいまで話し合っておくということがとても重要ではないかと。ご夫婦の場合ですから、これは結婚記念日にそういうことをしていただいたらいい。私たちの結婚記念日は4月9日なのですが、別にそれを明かす必要はないのですけれども、成り行き上言ってしまいましたが、毎年家内と私はがんについて話し合いをいたします。私はどこでどういう形でがんになるかわかりませんので、私の主治医が本人には言わなくて配偶者にだけ告げるというふうに、そうするのがいいと思っている主治医にかかるかもわかりません。