他人事ではないのです。ですからそれは自分のことでもあるということを考えながら、そういう病気になった人に何をサービスできるかということをいろいろな立場から、直接看護婦さんやお医者さんにはできなくても、そのホスピス運動を促進することに皆さんは貢献することができるのではないでしょうか。
『葉っぱのフレディ』と私のはじめての体験
私は一昨年、『葉っぱのフレディ』という本を読みまして非常に感激しました。この本はアメリカのカリフォルニア大学哲学および教育学を専門とするバスカーリア教授が書いたものです。この方は愛の教育とか愛の哲学が専門ですが、子供のために短い童話を書かれました。内容は、葉っぱが青葉から緑が濃くなり、秋になると紅葉し、霜が降るようになると、葉っぱは風に乗って大地に還る。大地に還った葉っぱは雪の下に埋もれて、水分と養分が地中に吸収され、それがまた根や幹を通して吸収されて、春になるとまた初々しい葉っぱが誕生してくる。
このように、いのちあるものは変わることが当たり前のことで、これは宇宙の自然の理なのだというのです。大木に繁る葉っぱは、太陽の当たり方、風通しいかんによって、一枚一枚サイズや色が違っています。自宅の庭には、九州から持ち帰った南京ハゼの種が大木になりました。紅葉するときれいだろうなと思っていたら、その何百という葉の中の1枚だけが真っ赤に染まっている。それはやはり太陽の光、風、そういうふうなことによって葉のそれぞれが自分の中に独自の染料を作って、それで自分らしく染めているのでしよう。それと同じように、私たちも自分らしく自分自身を染めて、そして最後は散っていく。そのことは私たちも葉っぱも同じだと私には感じられるのです。
そういう意味において、このバスカーリア教授の童話は、私たちに人生にも四季があるということを教えるテキストになると思ったのです。翻訳された本は90万部も売れました。森繁久彌さんがCDとして朗読しておられます。それは一昨年、59歳のご長男をがんで失われたときに、その以前に奥さんを亡くされていたので、森繁さんは息子さんの病気のことを聞いて絶望的な気持ちになってしまった。もう自分にはステージに立つ気力もないというほど、生きる力を失ってしまわれたのでした。そのときに、だれかにこの『葉っぱのフレディ』を勧められてそれを読まれたら、今私が申しましたような葉っぱのストーリーにこころ打たれて、生きる元気を取り戻されたのです。
「葉っぱのフレディはこの春、大きな木の梢に生まれました。そして夏は立派に葉が成長しました。その葉っぱはひとつひとつ違いがあるのに気づきました。親友のダニエル。ダニエルはだれよりも大きく、考えることが好きで、物知りでした。兄貴分です。春から夏へと楽しいときが過ぎ、葉っぱは夏には集まる大勢の人々が憩える涼しい木陰をつくります。フレディは兄貴分のダニエルからいろいろなことを教わるのです。夏は駆け足で過ぎ、すぐ秋となり、11月のある晩、突然寒さが襲ってきました。霜が来たのだとダニエルは言いました。緑の葉っぱは一気に紅葉しました。ある葉は黄色、燃える赤、深い紫色。また、金色にも。どうしてみんな色が違うのか。ダニエルはこう言いました。どの葉も光や風やいる場所が違うからだと。何一つとして同じ条件はない。だからみんな違う色に変わるのだ」と。