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登校拒否・不登校と向き合う親の会

《はるにれの会》山中道子

 

誕生とその背景

ともに悩む親の会として「はるにれの会」が誕生したのは、1993年(平成5年)6月26日、今から8年前のことでした。

北海道高等学校教職員センター附属十勝帯広教育相談所の、1991年12月から92年11月までの、1年間の相談受付件数152件中83件(54パーセント強)が登校拒否、不登校にかかわるもので、どこに頼ってよいのかわからない親たちの悩みを受け止める「親の居場所」が切望されていました。

わが子が学校に行けなくなった時の驚き、あせり、自責の念、さまざまな困難を抱えている親たちが、涙の中から立ち上がろうともがいた結果、親12人、教師4人、相談員4人でスタートしたのでした。

発足当時のことを振り返り、会員A氏は「よくぞここまで続けて来られた。親はただ泣きながら子どものことを相談し、相談員や教師が運営をして下さった。財政面も高校の教職員組合の援助を受けていて、このように長く続けられるとは考えていなかった」と語っています。教師のB氏は、「旧勤労者福祉センターでの、発足時の集まりを忘れることができません。お母さん方、みんな泣いていました。涙、涙の発足集会でした」と振り返っています。

会の名称となったハルニレの木は、某コマーシャルで有名になった、♪この木、なんの木という歌にある、伸びやかにどっしりと構える十勝の木で、私たち親は子どもの本当の理解者、味方になるための努力を、息永くずっと続けていきましょうという思いをこめて名づけたのです。1997年には会計や通信発行を、98年からは事務局も親が担当するようになり、ようやく自立への道を歩み出し、財政面でも会費収入の他に帯広氷まつりに屋台を出させてもらい、売上金で1年間の活動がスムーズに行えるようになりました。氷まつり出店は、少なかった父親参加を大きく広げることにつながり、お金を得る以上の意味がありました。

 

活動のあらまし

当事者である親は、心身ともに疲れ切った状況で参加して来られる方がほとんどなので、無理をしない、させない、あせらない、いつ参加してもいつ帰っても良いなど、安心して自分を出せるように心がけています。日常的には、月1回の例会、これは親子劇場の事務所をお借りして土曜の夜に行っていますが、年に2度ほど、明け方まで話が続くこともあります。

例会の流れは、18時〜21時までは新しい方が来られたら簡単な自己紹介をして、どういう悩みを持たれて参加されたのか、新しい方が安心して話せるよう心がけています。21時以降はフリータイムで、全体で話すこともあれば、隣の人同士で小グループになって話すこともあり、出入り自由になっていますので、自分の都合に合わせて参加できるようになっています。

 

 

 

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