当事者について
聞き分けのよい、いい子だった
晴夫(仮名)の家族は、祖父と祖母、父親と母親、それに障害者の姉と4歳年下の妹の7人。祖母と母親はふたりとも元教師です。母親は姉にかかりっきりでしたので、主に祖母が晴夫を育てました。教育熱心な祖母は、晴夫が幼い時から、テレビを見るよりは読書をすすめ、遊ぶよりは体力がつく縄跳をさせていました。ひとり目の孫(姉)が障害を持っていることもあって、晴夫に期待するところが大きかったのではないかと思われます。彼は、小学校低学年までは聞き分けのよい、とてもいい子でした。祖母が要求することはなんでも無難にこなす能力と素直さを持っていましたから、成績も常にトップで、祖母の自慢のたねでした。
しかし、4年生になった頃から晴夫は祖母を嫌い、母親にべたべた甘えるようになり、朝になると腹痛を訴えはじめ、五月の終わりには学校に行くことができなくなりました。それからの晴夫は元気がなく、何に対しても無気力な子どもになってしまいました。
―経過―
慌てていじくりまわされる
元教師の母親と祖母にとっては、教育の専門家がふたりもいるのに、晴夫が不登校になるなんてみっともなく、世間に知られる前になんとかしようと、朝に晩に晴夫に学校に行くように言い聞かせていました。小児科の医者に相談し「病気ではない」と診断されて、次は大学付属病院の精神科に連れていきました。
学校の対応は「本人が動き出すまでしばらく待ってみましょう」と、担任による週1回の家庭訪問をするというものでした。しかし、本人が会うのを拒絶するようになったので、半年で家庭訪問もなくなりました。母親は児童相談所や市の教育相談窓口にも足を運びましたが、本人は1、2度カウンセラーに会っては拒絶することを繰り返し、学校拒否、勉強拒否から生活拒否へと移っていきました。
晴夫は、両親に「ドライブに行こう」とだまされて、民間のある施設に連れていかれたことがあり、それ以後、両親に対する不信感は募り、恨みさえ抱くようになっていました。
晴夫が中学生になった頃には、生活は完全に昼夜逆転で、食事は好きな時にひとりで食べ、後はテレビゲームをし、漫画本を読むというものでした。