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苦しんだ分だけ、得た幸せも大きい

母親

 

不登校期間 中学2年9月〜3年4月 13歳女子

 

《家族構成》

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本人について

娘のAは、小学校4年後半から受験勉強を始め、同時にけいこ事を続けながら小学校生活を送る。クラス内にいじめがあり、担任の先生は神経質にクラス運営をされ、生徒同士がかなりぎくしゃくした状態だった。ライバルの友達は、第一志望に合格したが、Aは第二志望の私立中学校に進むことになり、その際、違うグループの女の子の言葉にひどく傷ついたと後に言っている。

最初はバス通学でがんばっていたが、3カ月後ぐらいから、乗客の男性に「鞄がじゃまになる」と毎日文句を言われたことからバス通学を怖がるようになり、疲れを訴え、父親が出勤の途中送っていくようにした。

学校内では初めは楽しそうだったが、2学期後半、成績が下降するにつれ補習にかかるようになり、非常に苦にするようになった。しかし、実際には塾に行くなど、具体策を講じるような気力はなかった。中学1年の春休み、小学校時の友達と広島へ行く計画を立て、実行させようとしたが、がんとして聞かなかった。

受験をはさみ、徐々に親の意見に反抗し、言を左右にして自分の意見を押し通すようになっていた。親としては不安に思い、危機感を感じながらも、反抗期の一つの形と思って自分を納得させていたように思う。

 

―経過―

不登校宣言

中学2年になって、クラス替えがあった。Aは、いつも疲れた表情が目立つようになり、6月頃から風邪や腹痛による欠席が続いた。なんらかの形で自信につながればと容認したパソコンにのめり込むようになり、夏休みが近づく頃には、午前3時頃までインターネットをするような生活になった。生活面の注意をすると家族や弟に当たり、いつも不愉快そうで取りつくしまもなく、食卓やだんらんの場は気まずく毎日つらいものになった。家には私の両親もおり、それぞれが心を痛めていたが、Aは4人の大人を相手に突っ張っている感じだった。

夏休み中の合宿には、腹痛のため参加できなかった。中学生活の大きな行事なので、楽しみにしているかと期待していたが、準備もせず、元気もなかった。夏休みの宿題はできているということだったが、母親の私はひどく不安を感じていた。

9月、始業式とその翌日は登校したが、3日目の朝、「もう学校には行かない」と宣言。

 

 

 

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