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その声は、今も耳に響いています。あの声が私を、私の家族を、地獄から救う始まりの一歩だったと思うのです。私はその電話で、次男は自分らしさを失いたくないともがいているのだ。今の子どもたちは、常にむかつきを抱え、なんでもないような顔をして明るくさえ振る舞っているのだと教えられ、子どもの見方が180度変わりました。

その日、相談員から示されたふたつの課題、そのひとつ目の、子どもの心に寄り添いながら待つということを、第一に心がけました。迎合するのではなく、子どもをひとりの人間として、心の底から認めようと努力する日々だったと思います。はたから見ると昼夜逆転でゲームづけ、何日も入浴も歯みがきもしない生活、生気のないドロンとした目つき、この子の何を認めろというのかという状態だったと思います。

でも、かろうじて通っていた柔道塾の先生方や親御さんたちからの、折に触れての励ましや、相談所で紹介された親の会「はるにれの会」の、同じ悩み、苦しみを持つ人々から、本当に理解されたと感じられたことで私は支えられ、心を癒され、現実に立ち向かう勇気を与えられたと思います。

もうひとつの課題は、自分の子育てを振り返り、親子ともどもに人間的成長をして本当の家族になることでした。私はとても怖くて、どうしてよいのか方法も見つからないでいましたが、短大生だった長女が、人間関係のつまずきから不登校になり、短大の心理学の先生に相談にのっていただく中で、「小さい頃、正しく愛情が注がれていませんね。次男のやんちゃでかわいらしく人なつこいというのは、愛情を求めても家の中で得られないと、外に求めに行く。つまり、母親も隣のオバサンも同じなんです。外に求めることもできなければ、無反応になるんです」と話されたことが、私の迷いを断ち切ってくれました。

私は子どもを愛していないわけではなく、正しく愛していなかった母だった。まちがいはだれにでもある、気がついたんだから今からやり直そう。心の底から、そう思うことができました。

 

私が変わると子どもも変わる

自分の子育てを振り返り、自分の育てられ方を振り返り、子どもたちと少しずつ本音の話ができるようになり、ごく自然に、「私は不登校の子を持ち、悩んでいるけれど、半面では子どもや自分の新発見にワクワクした日々を送っているのです」と言えるようになりました。私が楽な気持ちになり、今まで知ることのできなかった、たくさんの人たちに会い、語り、時には涙を流し、時には大笑いすることで、世の中にはこんなにもすてきで信じられる人が大勢いるのだとわかり、人がドンドン好きになっていくにつれ、子どもたちにも微妙な変化が見られるようになりました。

長女は遠慮がちに、「100点取っても、喜ばなかったもんね。点数悪くても、怒らなかったもんね」とか、「私が高校へ行っていちばん先にすることは、みんなと反対を向いている机を直すことだった」とポツポツと話し、最近では「まったく!!無責任の放任だったもんね」と言えるほどになりました。

次男は、自分は家族にとって余計者の存在だと思っていたことを、私が体験をレポートにまとめ、ワープロ清書を頼んだ時に打ち明けてくれました。考えてみれば、私の家族は本音でぶつかり合うことができない、ニセモノの絆で結ばれていて、子どもたちは「こんなんじゃいやだよ」と、自分の骨身を削って訴えていたのだと思います。

 

 

 

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