大人たちに甘やかされて育つ
私の記憶の中にはいつも父の姿がなかった。
母と姉、途中からは祖父母と叔父と、私の家族といえばその人たちのことだった。
父の姿がない理由は、いなくなってから聞かされたのを憶えている。両親の離婚は、4歳の子どもにとっては衝撃的な事件だったのかもしれない。それでも私は、父がいないということで、人間として欠陥品になったとは思っていない。今では、それだけ母の存在が大きかったと言える。
子どもの頃はそう感じなかったが、私は大人たちの中でかなり甘やかされて育ったと思う。何をやっても、たいていのことは許された。そして、それがどんなに狭い世界だけのことかも知らずに、私は外の世界に出て行った。
時期外れで入園した保育園。そこで、人に決められた時間で動かなければいけない場所があるのを、初めて知った。いやがって反抗したが、いつまでも続かなかった。自分を通そうとしなければ、決して悪い環境にはならなかったのだから。
私はもともと、学校に通うのを楽しみにしている子どもではなかった。いじめとまではいかないまでも、学校でいやがらせを受けたことはあった。それが学校を好きになれなかった理由かどうかは、わからない。私はいわゆる出来の良い子ではなかったし、小学4年生になるまで、よく仮病をつかって保健室に逃げ込んでいた。結局そうしていたことで、新しい世界に足を踏み入れることになった。
養護学校での1年半
私は肥満児だった。保健の先生はよくダイエットを勧めてくれたが、長続きしなかった。夏休みに行われる、千葉の養護学校の体験教室に行くことも、同じ先生の勧めだったと思う。くわしいいきさつは覚えていない。私はあまり深く考えず、退屈な夏休みが4日ほど減るくらいの、軽い気持ちだった。
私はとにかくはしゃいでいた。はじめは全く何も考えていなかったのに、次の日にはもうすでに入学を決心していた。家族と友達と離れて生活することはわかっていたが、なんの不安も感じなかった。ただ新しい世界に心奪われて、飛び込んで行った。
こうして4年生の2学期から、5年生の終わりまで養護学校で生活することになった。今思えば、全くの他人との共同生活なのだから、人との衝突も当然のことだったが、千葉で過ごした1年半は決して楽しい思い出ばかりとは言えない。むしろ、つらい思い出ばかりが私の記憶には残っている。