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そうとしか感じられない。とはいえ、自殺して死ぬ勇気もない。自分がどうしようもない、最低のクズだとしか思えなかったのです。死ねれば…、そして死ぬなら争って死のうという気持ちから、常にナイフを携帯して暮らすようになりました。それは、昼や夜どんな危険な場所へでも出歩くからには、だれに襲われるかわからない。武器があれば、弱さを強さに逆転できると考えたからです。

弱いと再び施設へ送られるかもしれないとおびえたのも理由です。施設へ送られてから、人とは信じるよりまず疑って付き合ってもいました。そのおかげで、不登校で閉じこもっていた時とは違い、親がいる居心地の悪い家から外へ出るようになりましたが…。しかし疑心の僕に、本当の友達はひとりとしていません。孤独で未来のない、不登校になった自分。相変わらず、社会を呪ってばかりでした。すてばちで危険な行為を行ったこともあります。

 

人を信じない僕を、信じてくれた人たち

それから7年がたちました。今のところ、経済的にも親の世話にはなっていません。ひとりで暮らしてもいます。全国に友人もいます。それも、年代も職業も国籍すら違う人たちです。ナイフも、もちろん持ってはいません。僕は僕自身が幸せだと今、堂々と言えます。

そうなれたのは、ただ人々との出会いだったと僕は言い切れます。きっかけは、不登校の居場所や、カウンセラーの方、警察の補導員の方に出会ったことでした。また、それらの人たちが、親切に対応してくれたからです。当時金のない無職少年だった僕は、金のかからない居場所を求めていました。僕は施設へ送られた経験で、親から金をもらうことは、状況をより危険で惨めにすると思っていました。それで、カウンセラーの先生には出世払い(まだ払っていないけれど)ということで、無料で何時間も話にかかわっていただきました。現在の3分間診療からは、考えられないことです。警察の方にも毎週、個人的に時間を割いてもらい、僕のことを心配していただいたものです。時には食事を恵んでもらったりしました。不登校の居場所でも、不登校の親の方々からさまざまな情報をいただき、いろんな人を紹介してもらうことができました。

しかし、これはなかなかできないことだと思っています。というのは、人を信じられなかった時、僕は必ず相手を試しました。約束を破るのは当然です。人が目をそむける汚い格好、罵倒、暴力、嫌われることはなんでもしました。普通だったら、僕が頼み込んだことなのに、約束を破られれば相手は怒るでしょう。それでも、僕とかかわってくれたものです。何度約束を破っても。それ以外にもまた、食事や服を恵んでくれたり、何くれとなく気にかけてくれる人が多くいました。

 

マイノリティの人たち

また、不登校をしているのは世界で自分ひとりという気分だった僕も、各地をさ迷ううちに、学校へ行かずとも、夢や目的を持ついろいろな不登校児がいることを知りました。彼らの存在は、僕だって今からでも人生を変えられるという勇気を与えてくれました。

 

 

 

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