自分について
僕が登校拒否したのは13年前、中学1年生の時でした。当時、僕には夢がありました。一流の大学へ行き、一流の企業に勤めるサラリーマンになること。それ以外の人生は、敗者だと思っていました。そう思ったのは、親や先生、同級の友人との会話、それにマスコミから流れる偏った情報しか、僕にはなかったからです。そこでは、肉体労働は3Kと忌み嫌われていました。当時はバブル時代で、大学生であれば良い仕事が向こうからやって来ます。
内申書を恐れ、部活をしていた僕の帰りは夜です。とても、外の世界を自分で調べる体力はなかったのです。真偽は確かめようもありません。学校へ行くことが当然で、幸せの道。そう考えていた僕が、突然学校へ行きたくなくなったのです。どうしてなのか、当時はわかりませんでした。いや、わかりたくもなかった。
―経過―
自由のない中学校に失望
登校拒否の理由は、現在ならばわかります。まず小学生の時、中学生が小学校に来て、中学校では生徒会で自治ができると言ったことがありました。僕は当時、しょっちゅう先生に殴られていました。けれど中学生の言葉を聞き、中学生になれば自由に発言でき、自分の好きなことが学べると信じてしまったのです。
だが、現実は違いました。頭髪から服装まで厳しくチェックされます。自由へのあこがれが大きかった分、失望も大きいものでした。まして、表現の自由など、法が認めるところを知ってからは、なぜ校則を守らなければならないのか疑問でした。
さらに、小学校から劣等生だった僕には、勉強が理解できませんでした。中学になるにつれてみな、偏差値や高校、内申書のことを気にしだします。中学の勉強は容赦なく進みます。僕も気にはしました。もちろん夜遅くまで勉強しましたが、理解することはできませんでした。僕はただ、クラスで椅子に座るだけの存在でしかないのです。当然、勉強の話を主にしだす友人とも話が合わなくなる。僕も暗くなります。からかわれたり、画鋲を椅子に置かれたり、物がなくなるなどいじめられるようになりました。
追い討ちをかけるように、自由なはずの中学では半ば必修のように部活があります。小学生までは先輩も後輩もなかったのに、1つ年が違うだけで、「敬語を使え」、廊下で会ったら「礼をしろ」と言われます。