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【清野】 今、自然が大事だとか色々言われていますが、周囲の社会状況、それから技術的な問題や、経済的な状況次第で、砂浜や干潟が地域にとって非常に大事だという時期もあれば、もう本当に邪魔で要らないという時もあるんですね。実際、九十九里浜がこういうコンクリートだらけの景色になってしまっても、地域の人たちが困っているという話はあまり聞きません。それは私のような生物関係の専門家としては非常にショックです。でも、よくよくインタビューしてみると、地域にとって砂浜があるということが昔はものすごく重要だったかも知れませんが、今はそこから経済的なものが何らもたらされない、まあせいぜい海水浴ぐらいでしょうか。むしろ海岸工事で消波ブロックを造る仕事が増えた分、地元の人たちにとってはお金になるわけで、昔、魚を獲っていた人たちが、今はブロックを造って暮らしているという現実を見ると、もうすでに一つの産業になっているということが言えます。

九十九里浜をこうした観点から再度地域研究をやってみるのは意味のあることだと思います。

 

【平本】 イワシを砂浜で干した干鰯という肥料のことが出て来ましたが、江戸時代は非常に価値のあるものでして、漁期は冬でした。冬の乾燥していて日差しが強いときに、砂浜で1週間から10日ほど干乾しにすると、それが最高級の肥料になって、米とか、ミカン、それから綿、それから菜種、それから藍といった、いわゆる当時の生活物資のすべてを干鰯や〆粕で賄っていました。

それから、関西のほうではニシン粕が干鰯の役割をしました。それは肥料であるのと同時に食べる気になれば食べられるので、食糧にもなったんですね。今の感覚で言うと、イワシの干したものなどというのは安いものに見えますが、当時は大変高価なものだったそうです。このように干鰯というのは大変価値のあるものだったということを知っていただきたいのです。

 

それでは今は化学肥料があるからもうお役ご免かというと、決してそんなことはありません。いわゆる有機肥料として、今は干鰯ではなくて魚粉ですが、魚粉は家畜の飼料以外にも果樹の肥料として非常に重要です。例えば千葉県でいいますと、県北の白井町の梨、それから、館山近くの富浦町のビワは有名ですが、果樹園をやっている農家の人たちに言わせると、今でも果樹の生産というのは魚粉を使わないと甘味が出ないそうです。ですから、もし産地で果物を買う場合には、魚粉を肥料として使っている農家のものであれば間違いないはずです。そういうことを知っていただきたいと思います。

 

かつて飯岡の海岸には、飯岡石と呼ばれる扁平の凝灰石が多量に堆積していた。漁村ではこの石を防風防砂のための石垣や、屋根の置石などに利用していたが、飯岡漁港の海岸工事の影響で飯岡石は姿を消し、現在では見ることができない。

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1959年(昭和34年)の飯岡の漁村風景

現在のようなナイロン製漁網が普及する以前は、木綿の漁網を砂浜で乾燥させる光景が見られた。

 

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砂浜で漁網を繕う漁民。1962年(昭和37年)

 

 

 

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