日本財団 図書館


5. 今なお盛んな伝統漁業の町

 

飯岡漁港

 

九十九里浜は昔からイワシ漁で有名ですが、ここ10年程はイワシの減少によって九十九里の漁業は厳しい状態が続いています。しかし、シラウオの水揚げで有名な飯岡は、不振が続く九十九里の漁業の中では比較的活気のある漁港です。ここでは九十九里の漁業と、その歴史について見ていきます。

 

【平本】 野手海岸よりちょっと北に、野栄(のさか)町という所があります。ここには中型の旋網(まき網)が4カ統あって、これらは全て飯岡漁港を拠点とする海匝(かいそう)漁業協同組合に所属しています。また、旭市の椎名内という場所には、大・中型のまき網が3カ統ありまして、うち1カ統は完全に銚子港を拠点に水揚げしていますが、2カ統は銚子港と飯岡港の両方で水揚げしています。このようにまき網が今も7カ統も残っている海匝漁協というのは、ある意味では漁業が栄えている九十九里浜で唯一の浜ではないかと思います。今、飯岡では、まき網で年間大体12億円ぐらいの水揚げがあります。シラスなどを獲る船引き網でも4億〜5億円の水揚げがあります。このように飯岡は合併して港を造ったために、漁業としては昔よりも良くなっています。

 

一方、片貝漁港を中心としたイワシ漁業の場合ですと、伝統的に九十九里浜の地先の海域だけで漁業をするという形でやって来ていて、自分の港以外で水揚げするということはまずありません。ですから、豊漁になっても、それほど儲けにつながらないんですね。要するに、同じイワシ漁でも大資本の入った銚子のイワシも、片貝で水揚げされたイワシとそんなに値段が異なりませんので、規模の小さい片貝のイワシまき網は豊漁時でも衰退していったと言えるようです。

 

ちなみに、飯岡漁港に程近い椎名内という場所は、1888年(明治21年)頃日本で最初にアメリカからまき網の技術を導入して、従来の六人網のまき網をアメリカ式にした改良揚繰(あぐり)網の発祥地です。九十九里浜では、ずっと昔は地引き網がメインでイワシ漁が行われて来ましたが、これ以降は揚繰網の天下になりました。

 

038-1.jpg

漁港が建設される前の飯岡の船溜まり。

利便性の良い漁港は漁業者の願いでもある。1960年(昭和35年)頃

 

038-2.jpg

整備された現在の飯岡漁港(2002年1月)

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION