九十九里浜を巡検する上でまず認識しておくべきことは、南北両端に太東崎と屏風ヶ浦の海食崖という砂の供給源があって、そこからの供給バランスの狂いが侵食の原因であるということです。 利根川 かつて利根川は東京湾に注いでいたが、江戸の防災、新田開発、水運整備を目的に徳川家康が利根川の東遷事業(1594〜1654)を実施した結果、現在の銚子に流れ込むようになった。
九十九里浜を巡検する上でまず認識しておくべきことは、南北両端に太東崎と屏風ヶ浦の海食崖という砂の供給源があって、そこからの供給バランスの狂いが侵食の原因であるということです。
利根川
かつて利根川は東京湾に注いでいたが、江戸の防災、新田開発、水運整備を目的に徳川家康が利根川の東遷事業(1594〜1654)を実施した結果、現在の銚子に流れ込むようになった。
図1-2 九十九里海岸の現地踏査
今回の巡検では、漂砂の供給源である屏風ヶ浦に向かって北上しながら進む。
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