「おおむた少年の翼」フライト日記
事務局長 吉田健一
台風6号が、奄美地方に停滞しなかなか北上してこない。九州の西岸を通過し福岡地方に接近したのは、前日の7月30日の事だった。『もし、飛行機が欠航したら…。』
不安ばかりが頭をよぎりなかなか寝つけない夜を過ごした。
[第1日目] 7月31日(月) 雨のち晴れ
いよいよ出発の日。雨の中、出発式が行われる大牟田市民体育館へ向かった。
6時10分、全スタッフが集合し、本日の行程の確認を行うものの飛行機の確認はまだ取れていなかった。フライトの確認が入ったのは、団員受付が始まった6時40分を少し回った頃だった。
これで一安心、人員報告の声にも思わず力が入った。荒木教育長の激励を受け、全員でこの研修を楽しみ、2日後には元気な姿で帰着することを誓い、団員たちは希望に満ちた顔でバスに乗り込み福岡空港へ向かった。
ほとんどの団員が初めて体験する出国手続き、緊張と不安な顔で一人一人がパスポートを高いカウンターへ置く。中には背が小さくて顔がみえないため、身を乗り出して確認する検査官の姿を見て思わず吹き出した。
11時を少し過ぎて、圧倒的な加速で体をシートに押し付けられながらふわりと浮かんだ。いよいよ本番の幕明けである。
昼食を取り終えた頃に、飛行機がだんだんと高度を下げ、晴れわたった韓国が見えてきた時、心の中にあった一筋の曇が消えていった。晴れてよかった…。
出国後、各々のバスに事前研修で作りあげた組旗を取り付け、最初の参観地である梵魚寺へ出発。
新羅文武王18年に義湘大師によって建立された寺は、普段見慣れた日本のものとは違い色鮮やかな建物であった。初めて見る異国の地、子供たちにはどう映ったのだろうか。
予定時間を少し過ぎて、宿泊先の金連山青少年修練所へ到着。休む間もなく「翼アドベンチャー」で、修練所内の施設を確認しながら6ヵ所のチエックポイントで組対抗のゲームを楽しんだ後夕食を取り、待ちに待った「ウジォフェスティバル」の開始である。
3回の事前研修会よりみんなで企画し、練習を重ね、少しの空き時間をも利用し、組長を中心として一丸となり、一生懸命取り組んできたその成果が発表されるときである。各々に手作りの小道具を使い、真剣に、そして楽しく、全員が団結したパフォーマンスは、どの組にも努力の後が伺えた。終わった後の達成感と少しの反省、みんなの顔が輝いて見えた一時だった。
入浴後、団員たちは10時30分に床に就き、ロビーではスタッフ会議が始まった。本日の反省、明日の行程の確認、要望等数多くの意見が交わされる中、一つ心配だったのは食事をあまり食べていない子が数人いたことであった。明日の行程が一番ハードだが大丈夫だろうか。
[第2日目] 8月1日(火) 晴れ
6時起床。6時30分朝の集いの中で、昨日開催した「ウジォフェスティバル」の表彰が行われ、団員からは歓声が上がった、みんな元気だ。
朝食後、本日の参観地である国連墓地と釜山市立博物館へと向かった。釜山の歴史や文化物1万点あまりを展示してある博物館の一つのコーナーに、戦時中の韓国の小学生が日本語で書いた作文や、日本語の教科書を手にしている写真が展示してあった。説明文はハングル文字で書かれてあったので分からなかったが、ガイドさんは団員たちにどんな説明をしたのであろうか。
1時間の参観活動を終え、昼食を取るため「金剛海」へ向かう。お待ちかねの焼肉料理「プルコギ」に舌鼓を打った。研修所の食事と比べるのは気が引けるが、子供たちは正直だ。私の斜め前に座っていた団員はご飯を4杯ぺろりと平らげた。
研修所へ戻り、13時30分よりいよいよこの本研修のメーンイベント韓国の子供たちとの交流会が始まった。日本と韓国のそれぞれの代表者と団員があいさつを交わした後、日本側の発表会では、「おおむた少年の翼」のテーマソングである「フラワー」(翼バージョン)を全員で斉唱。一部韓国語に訳した歌詞もうまく歌えた。と同時に相手にも何かが伝わったようだった。