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ぼくの父さんには左うでがない。サメにくいちぎられたのだ。ぼくが小学校五年生のときのことだ。あれから一年、あの日のことをぼくはいまでもはっきりとおぼえている。

「イサム!母ちゃんは?」

マサー兄(ニー)がけっそうをかえてうちへかけこんできた。ぼくは昼寝していた。母さんは豚(ぶた)にえさをやっていた。豚は夕がたになるときまってビガービガーッと鳴(な)いてえさをほしがる。その鳴き声がうるさくて、ぼくはすごく不機嫌だった。

「……豚小屋(ぶたごや)」

というと、マサー兄(ニー)はあわててうらへまわった。大声でなにか叫んだ。母さんが豚のえさをほうりなげ、かけだしていくのがみえた。父さんによほどのことがあったのだとすぐにわかった。ぼくもはだしで走りだした。

船(ふな)あげ場(ば)におおぜいの人があつまっていた。そこで、ぼくは見たのだ。父さんが血だらけになって救急車に乗せられていくのを。

夜、病院へいき、白い服を着てベッドに寝ていた父さんの左手がないのをみて、ぼくはなにがあったのかをのみこんだ。

やがて退院した父さんは、しばらくうちで寝ていたが、元気になってからは運搬(うんぱん)のしごとをするようになった。島の港に船が入ると荷物を荷車(にぐるま)にのせて倉庫へ運んだり、商店街までとどけたりするしごとだ。それは根っからの漁師だった父さんにとって、どんなにかつらいしごとだったにちがいない。やけつくような夏の昼さがり父さんが汗だくになって車をひいていくのをみると、ぼくはじぶんの背中までジリジリこげるような思いにかられるのだった。

 

 

 

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