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仕事を終える夕方、彼の顔は火膨れにほてる。それは町人たちが時流に置き忘れてきた、「火」仕事の領分なのかも知れない。

初めはほとんど誰からも見向きもされない、異郷の地・東北での土佐風食文化だった。しかし華やかな味の彩りが人口に膾炙するにつれ、南国土佐の一粒ダネは、ゆっくり芽を伸ばしはじめたという。常夏の匂いを運ぶこの流れがもしも世に存在しなかったら、その生きがいはどこに着地したのだろうか。

十一月。海に開け放たれた晩秋の作業場には、心地よい太平洋の潮風がふわりと流れ込む。戻りカツオもすでに常磐沖を去った。ワラ焼き仕事もぼちぼち店じまい。ワラと包丁一本で黒潮の行方に従う細木さんの行状が、いよいよカツオの回遊とダブって見えた。

南海の強い日差しをたっぷりと吸う黒潮の表層水温は、真夏には摂氏二十九度を刻む。冬場の日本列島近くでも水温は十八度を割らない。黒潮という温水パイプは、吹き下ろすシベリア高原からの風と寒気団の前で、日本列島をいつもやさしく包みこむ。それが独自な日本流の個性や文化を渚に育んできたのは、恐らく間違いあるまい。

そんな黒潮の恵みに、彼の住むいわき市だけは東北でも珍しく雪が降らない。海原の余熱に寒さが緩むと、土地の者はまことしやかに「東北のハワイ」だと冗談まで飛ばす。三陸のカツオ漁期が幕を閉じる晩秋。移住四年めのタタキ狂いは、故郷・高知に戻る帰巣習慣も薄れて、そこを終の住みかにしはじめた。遂にはぐれガツオになってしまったらしい。

ヒトはこうした暖流のシェルターの中に暮らせてこそ、海で遊び四季も愉しみ、魚介類に舌をこやすゆとりも生まれる。しかも南からの恵みが育むその解放感は、そこに住む者すべてにとっても風通しのよさの源だ。それをたとえればこうかも知れない。大陸文化というゴハン(米作り)の上に黒潮文化(漁労生活)の刺身をのせて反転させ、醤油(発酵文化)というアジアに濡らして口にポンと放りこむ、握り寿司のまろやかな合体の味。

 

 

 

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