カツオの一生は波乱に富む。
きらめく南の海に放たれた、無数のカツオの受精卵は、波間を揺りカゴにしてゆっくりと漂う。弱アルカリ性の海の表層は、ヒトの子宮のそれにほぼ等しい。やがて孵化する瞬間が近づくと、おもむろにその比重が増して海の深みへと沈む。底をゆるやかに流れる下層潮流の力を借りて、一番ふさわしい生育場所までたどり着くのだ。共食いにもあわず、ほかの魚のエサにもならず、浅瀬の岩棚や岩礁を棲みかにして、薄灰色の稚魚まで育つと、その表皮には次第に青みと輝きが宿りだす。
そして二年めを迎えた一月のある夜明け。流線型を帯びた体に遊泳力をたくましくつけたカツオたちは、申し合わせたかのように突然、群れをなして北へ旅だつ。まだ寒がりな彼らを毛布のように包み、餌の豊富な北の海域へと導くのは、母なる黒潮の役目であった。
その黒潮は、フィリピン最南端のミンダナオ島沖に源流を発する。さらにさかのぼると、名前を北赤道海流と改めるが、すこぶる強い流れではない。流速と潮力にまさる世界有数の頼もしい海流として、黒潮が頭角をあらわすのは、日本列島に近づいてからだった。
地球の自転に根ざすその勢いは、最大で秒速二メートルをしのぐ。しかも水面下八百メートル、最大幅二百キロメートルにまで力は及び、まさに大海原の超大河と呼ぶにふさわしい。
かつて土佐沖にいた弱冠わずか十四歳の漁師・中浜万次郎を、たった六日で鳥島沖まで運び去り、運命をジョン万次郎に違えたのもこの流れだった。ときには南方の渚に自生するココヤシの種子を、はるか伊良湖岬あたりにまで気まぐれに運ぶ。そうして海流散布された亜熱帯植物のタネが、暖かな日本の渚でもまた、子どもの悪戯みたいに、南の情景をはかな気に描きだすことさえ珍しくない。とてつもなく長い、温水のエンドレステープ。それが黒潮に隠された正体だった。