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昭和八年秋、海軍水路部の調査船が南鳥島を訪れた時、島はもう荘々たる雑草と灌木に覆われた無人の島と化していた。

それから二年ほどすると、海軍は秘密裡にこの島にL字形の滑走路と海岸に六つのトーチカを構築し、突角部には高射砲を据え付けた。そして、常時、気象観測を名目に海軍の小部隊が駐留するようになった。

いよいよ日米開戦と同時に島は生き生きと活気づき、硝煙の前線基地へと変貌していった。九六式や一式陸攻機が夜明け前になると轟音をとどろかせて、一機、二機と哨戒飛行へと飛び発っていく。そして夜ともなれば、若い隊員の訓練であろうか、ずんぐりした胴体をなめらかに下降させながらタッチ、アンド、ゴウを繰り返して上昇していく。

やがて、陸軍部隊も次々と船で運ばれてくると、島の人口は一挙に陸海合わせて千九百名近くにふくれあがった。陸軍の兵隊は上陸当初、銃声一発しない島のあまりの平穏さにゴクラク島だと言ってよろこんだ。そして奇妙な話が兵隊たちの間で囁き始められた。それは島の中央部の薮のなかの小さい沼の辺りに幽霊が出るというのだ。もともと兵隊に幽霊咄は付きもので、内地の古い連隊なら必ず一つや二つの幽霊咄はあるものだ。

それを若い中尉は「ユーレイなどあるものか、そんなものを信ずる奴は敵の謀略にかかったも同然だ」と兵隊たちを並べて叱った。

やがて、サイパン、硫黄島が陥落すると、食糧、弾薬など一切の輸送の途絶した南鳥島は、一転イノチトリ島という地獄の真っ只中に叩き込まれていった。

爆撃、艦砲射撃、そして日毎に迫りくる餓え。

 

 

 

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