日本財団 図書館


―明治三十一年七月二十四日付 官報。

仮稱南鳥島をそのままの島名で正式に―日本帝国領土ニ編入シ

以後小笠原島庁所管トス 内務大臣訓令。

 

あの、絶海の孤島が一躍首都東京の一部になったのである。ついに水谷新六の素志は報いられた。しかし、時の大隈内閣は新六に賞詞一つ与えることはなかった。

新六はすぐ鳥羽毛とグアノの採取を事業目的とする南鳥島の拝借願を東京府に提出すると、それは程なく認可され十年間の借地権を手にすることができた。そんな或る日いよいよ開発事業の基盤ができたぞと喜んでいる筈の新六が、珍しく激怒する事件が出来(しゅったい)した。

羽毛等の取引先である上滝商会が、白燕、黒燕、ボーシン鳥などの簡単な剥製は一羽二銭位、鳥毛にいたっては一羽わずか三、四厘見当で取引契約を結んでいたのだが、商会はこれを外国商社には数十倍の値で売却している事実が露見した。

天水を飲み、野菜といえば内地では豚の飼料にしかならぬペンペン草を大事に育てながら、それこそ命がけで労働を続けている島の人たちのことを想うと、あまりにも暴利を貪り恬として恥じない商会のやり口を新六は人間として断じて許すことはできなかった。

結局、この問題は商会側が七千五百円也を和解金として支払うということで落着した。

早速、新六はこの金額を現地労務者の病気、災害、死亡などの不幸に備える資金にあてることにした。とにかく一応和議が成立すると商会主上瀧七五郎は札束をちらつかせながら詞(ことば)巧みに事業の共同経営を打診してきたが、新六はにべもなく拒絶した。

今や新六の胸に去来するものは百トン積みの快速スクーナー的矢(まとや)丸を駆って、新天地パラオ諸島への進出であった。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION