上陸してみると―島は標高平均五メートルあるか、ないかの平板な隆起珊瑚礁で、島というよりむしろ縹緲たる絶海に浮かぶ一粒の白砂と緑の洲と言った方があっている。調査するにつれ、島の形状はほぼ正三角形をなしており、その頂点の一つが真北に向いた周囲約七・六キロメートルで、面積一・〇一平方キロメートルと算出した。
また、副隊長格の早川航海士の実測の結果、この島の位置は北緯二四度一四分二秒、東経一五四度三分であることが分かった。航海士は持参の海図に島の位置を記入した。そして改まった口調で、この島は東京の南東千九百五十キロメートル、小笠原父島の東南東千三百キロメートルの位置に在ることを隊員たちに説明した。隊員たちは海上で感得し得ない距離感を今更のように味わった。また、もしこの島が将来日本の領土となることがあったら、日本で一番早い日の出を見ることのできる地点になる筈である。
岩礁の内側の、つまり水深およそ一・五メートルほどの裾礁には、まるで水族館のように色彩鮮やかな魚の群れが列をなして泳いでいるし、透きとおった海底にはまっ黒い海鼠(なまこ)が無数にへばり付いているのが見えた。
白砂の岸辺から一歩中に這入ると、そこは大部分、薄暗い灌木の繁み覆われていて、その中は耳に痛いほどかまびすく、白燕、黒燕、カツオ鳥、信天翁(あほうどり)などありとあらゆる海鳥の啼き声が交錯している。
夜、海岸近くの砂丘に隊員たちが毛布にくるまって寝ていると、文鳥ほどの海燕の雛がヨチヨチしながら毛布の中にもぐり込んできて、顔面といわず頸や腹のあたりを容赦なく小さい嘴(くちばし)で突っつくのだ。人間たちは久しぶり童心にかえって、うれしい悲鳴をあげるのだった。