この島はおよそ八十年ほど前の一八一四年(文化十一年)、米国の宣教師によって最初に発見されてウィークス島と名付けられたそうな。その後三十年位経って、ハワイの伝導船モーニング・スター号船長ゲレット大佐によってウィークス島の存在が再確認されたとか。また米国の捕鯨船ダビッド・ホードレイ号船長もウィークス島とほぼ同じ位置にひとつの隆起珊瑚礁の小島を発見して、マーカス島と命名したのだという。
またさらに、ごく最近の明治十五年頃、フランスの軍艦が北緯二四度三〇分、東経一五三度五七分の位置にこの島の在ることを認め、それがどうしたことかスペイン領マリアナ群島の一部として取り扱われていたという話もあり……。
「えらいややこしい話だな」
小林船長は航海士の宙に浮いたような博識を苦笑しながら軽く去(い)なした。
「ともかく現在のところ、どこの国にも所属しない無人島であることは間違いない筈です」
航海長は何やら憮然とした口調で、船長の悪意のない揶揄に応じた。
ほどなく、新六や船長たちの間で島に上陸して調査することが決定すると、新六を長とする乗組員六名の探検隊が早速上陸準備に取り掛かった。船長は五名の水夫と船に残ることになった。
島に接近してみると、島の外縁は黒い牙のような岩礁(リーフ)に囲まれていて、その内側の二百メートル位が内海になっており、白い砂丘に続いていた。たとえ伝馬船であれ、船を内海に入れるには岩礁の障害を突破しなければならない。もし岩礁に船底をぶっつけるものなら船はひとたまりもない。南海の岩礁にたわむれる白い波浪の詩情は、航海者にとっては危険きわまりない死の招きにひとしい。
安全な上陸点を探して天祐丸は島を一周したが見付からず、運よく二周目に島の南の中央部に幅三間半(約六メートル)ほどの岩礁の裂け目を発見して、そこから伝馬船を入れ上陸することができた。幸運であった。