藤井 文化の発信ですが、発信という言葉の意味は、東京が果たすべき役割は、文化をつくるということです。確かに日本は発信力が弱いが、文化をつくる場所は東京です。まさに映画祭がそうですが、どこでつくってもいい。でも、それを認めることが大事なんです。それを認めるところが東京で、それを応援していく。フィジカルだけでなく、価値、客観的な評価とか、そんな場所になっていくのが、発信ということです。日本文化があって、日本人だけで固めてつくって、それを発信するという意味ではない。
カオスをエンジョイする人たち
日下 インドのベンガル湾に面したカルドナタカ州カンナダ郡へ1週間行って来ました。カンナダ郡は、人口は180万人ですが、まず言語が4つある。トール語、カンナダ語、コンカニ語とマラヤラン語。それに方言がいっぱいくっついていて、山を越えたらもう通じない。宗教は、回教、ヒンズー教と、イギリスが残していったキリスト教とある。寺院が数多くある。仏教はあまりない。これに分派があり、前からの民族の神様のブーターとかジャイナとかを信じる人があちらこちらにいっぱいいるうえにカーストがある。町を歩いている人を見ると、服装、職業、言葉が違う。何もかも違う。それが重なり合って何10種類にもなっている。現地に滞在している日本の教授に見分けられるのですかと聞いたら、大体わかりますという。けんかもない、争いも何もない。モスクの大司教に、ここは宗教戦争はないのですかと聞いたら、「昔に済んでしまいました、キリスト教の人を我々のお祭りに呼ぶと来ます、我々もキリスト教のお祭りに参加します」という返事です。カンナダの辺りは、みんなが仲良く暮らしていて、カオスをエンジョイしているように見える。そういう状態について考える必要があると思った。何百年も前に日本はそれを達成しているのかもしれない。100年前の1900年に、パリに印象派の画家がたくさん出た。その中にフランス人は一人もいない。シャガールはロシア人、ゴッホはオランダ人、ピカソはスペイン人。そういう才能ある画家に思う存分活躍する舞台をパリは提供した。
青木 文化政策を本気になってやっていただきたいと改めて感じました。世界都市東京と大げさに言わなくても、東京は、住む人間にとって利用しやすい都市であってほしい。例えば、東京都近代美術館に行くのは大変です。ニューヨークのメトロポリタンやモーマは、歩いてすっと行けます。
いい文化的な装置はみんなが気軽に行けるようなところにないといけないし、夜も遅くまでやってほしい。先日、ご縁があって、皇居に初めて行ったのですが、感激しました。すばらしい空間です。新宮殿はモダンであると同時に、古代的であって、まさに伊勢神宮と現代東京のビルが一緒になったようなところがある。アジア諸国の宮殿やトプカピ宮殿、ベルサイユやバッキンガム宮殿とか行っていますが、あの空間の広がりは体験したことがないすばらしさだと思います。日本のハイカルチャーの極まったところだと思う。ポピュラーカルチャーはポケモンなどいっぱいあるが、ハイカルチャーにもすばらしいものがあることを感じた。一般の人は皇居へは滅多に入れない。せっかくいいものを持っていても、外国人も日本人も、味わうことができない面がある。もっと国と自治体が本気になって文化政策を打ち出し、一般の住民もサポートする体制をつくっていかなくてはいけないのではないか。東京は歩きにくい。不経済なむだな空間が多い。パリの今日を作った改革がナポレオン三世のときにあった。あれでパリは8階建てに統一した。そういうことを石原さんがやってくれると、東京23区の中にきちんとおさまって、すばらしい緑地と公園、歩ける道ができるのではないかと思います。