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菊竹 第一回世界都市東京フォーラムを始めます。最初に古川先生にお願いしたのは、バイオロジカルな面から言うと一番よいのではないかということです。

 

医療機関へのアクセシビリティは最高

 

古川 都市と医療を主題にお話しいたします。

日本ほど医療へのアクセシビリティの高い国はありません。私は3月にJRの駅で転んで、肩を脱臼したのですが、あっと言う間に救急車が来て20分で病院に搬送されました。都市の中に多数の病院が分布し、住民のほとんど全員が医療保険に入っている。世界中にこんな国はありません。それでも不満と言われるなら、病院の中で発作を起こす以外ありませんが、小説より奇妙な事件は起こるもので、某大学の医学部がマイコン診断機能付き心電計を購入し、誰かをテスト台にして試そうということになりました。

教職員は忙しいので時間の空いていた教授が手を上げたのです。すると心筋虚血を疑わせるデータが出たのです。「おれの心臓は大丈夫だ。機械の知能が劣っているんだ」と抗弁するのを、弟子たちが「今晩だけ病院に泊まって下さい」と強引に病室に入れたところ、夕食後すぐに心筋梗塞の発作を起こした。「それっ」というので冠動脈にカテーテルを入れてバルーン処置をした結果、命拾いをしました。この人は1年後、今度はX線装置の更新の機会に、やはり実験台になったら胃癌が見つかりました。残るところは脳卒中だけだと威張っています。ここまでやるとやり過ぎですが、日本の医療アクセスはいいのです。

 

医療の過剰サービスあれこれ

 

日本の医療が社会を相手にじっくり取り組まねばならない課題は山積です。例えば、人工透析です。イギリスのNHS(ナショナルヘルスサービス)では55歳以上は断ります。ドイツの年齢上限は65歳。あけすけに言えば、財産があれば何歳になろうが先端医療を受けられます。「財産がなければ諦めなさい」です。そういう現実がどうして容認されるのか。医療費の高騰を防ぐのではなく、西欧には老人の分をわきまえるとでも言いましょうか、日本にない価値観か運命論を共有しているようです。日本人は死に瀕した家族にあらゆる治療を施すと、本人はともかく家族は満足する。臨床医の世界に「ぽっと出症候群」という揶揄があります。子供の1人が長らく世話をしてきた老親がガンと分かった。医師も子の方に十分説明して事情は相互理解に達している。老親本人も事情をうすうす感づいて、余り痛みのないまま安らかに過ごそうとしている。そこに遠方に赴任していた長男とか、嫁いだ姉とかが病院にひょっこりやって来て、「こんな立派な設備があり、集中治療も出来るのに、なぜうちの親は見る影もなく痩せ衰えて、このまま死を待つしかないのか」と文句をつける。仕方なく栄養補給など余計な治療をすると、本人にとって苦しいばかりなのに、文句をつけた家族だけが満足する。身近にいた子はそんな無理は言いません。「ぽっと出症候群」は、末期患者の対応の大問題です。

日本の場合、老人の側にも問題があります。過疎で有名な山口県東和町での話ですが、昼間、村で見かけるのは老人と猫だけ、それもめったにいない。町の浴場での老人たちの会話がすごい。「おまえ、このごろ診療所で顔見ないけどどうしたんだ」「いや、調子がいいから行かねえよ。ミカン畑に行っているがな」「そんなばかな。老人医療は月4回以上、何度医者にかかっても、負担は同じだぞ。毎日行ったらいいんだ」。人工透析の年齢制限を許容している国々と比べると天と地の差で、老人医療の野放図なところは、遠からず議論が起こるでしょう。

医療技術の水準から見た日本は、一番いい線まで来ています。これ以上要求されると、死者を生き返らすことしかありません。辛口の医師は「近頃の患者は死んでも命がありますようにと願っている」とこぼしますが、絶望的な人が死んでも訴訟になるケースが増えています。厚生省の政策にもし注文をつけることが出来たら、日本の病院設置基準を厳しくして、病床1床あたりの面積をせめて先進国並みにすることと、病気でない人を入れないで済む運営を徹底することの2点に尽きます。病院建築と運営以外に、医師のモラルの問題がありますが、これは大問題なので別の機会に譲らざるを得ません。

 

 

 

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