第3章
話すこと・聴くこと・祈ること
報告
世界を聴き、私を語る
清史彦 KIYOSI FUMIHIKO
1 坊主バーは「現代のお寺」
9年前から大阪のミナミに、「坊主バー」という、そのものずばり「お坊さんが話相手として座っている飲み屋」を仲間と一緒に開いている。お坊さんとお酒という、一般には驚くような取りあわせに、当初はほとんどの人に「洒落でやっているのか」と思われて、物珍しさで来る人、来ないで批判する人、いろいろあった。しかし、9年も続いてくると「結構真面目にやっとるな」と、一時の盛り上がりは薄らいできたものの、落ち着きが出てきている。
来られた方の多くの感想は「ここは落ち着く」「他でできない話ができる」というもので、当初からの「あらゆるいのちが水平に出会う場を開く」という願いが、少しは実現できているかなと思っている。また、最近はそれらの事ごとを「癒し」とか「ケア」といった文脈でとらえられることも増えてきて、主宰してきた私が逆に少し驚いている。
それは、当初からそのようなことを意図して開いた場ではまったくなかったからで、私のなかでは、坊主バーは「現代のお寺」であるからだ。お寺は現在では、風景、観光、自然、金儲けなど、相当いろいろなイメージをもたれている。しかし本来は、その地域社会にあって、いろいろな人たちが出入りし、当然お坊さんもその輪のなかにおり、そしてそれぞれが生きる方向性を語り合い、確かめ合った場所であった。話す、聴く、祈ることが、特別なことではなく、日常の当たり前のこととして行われていた場所だったのだ。ところが現代のお寺の多くは残念ながら、固く門を閉ざしていたり、一般の人にはとても敷居の高い場所になってしまっている。