第1章
ケアをとらえなおす
あなたとわたしの幸福のために
<存在することのケア>に向けて
森村修 MORIMURA OSAMU
1 はじめに
最近では、大きな事件や事故、災害などが起こると、新聞やテレビを中心にマスメディアが、「ケア」や「こころのケア」という言葉をよく使うようになりました。児童虐待の事件が起こると「子どもにはもっと親や地域の人たちによるケアが必要だ」と言われたり、老人介護が話題になる場合には「老人のケアの重要性」が議論されたり、残虐な事件が起こると「犯罪被害者にはこころのケアを忘れてはいけない」というように、ニュースの報道にあわせて、「ケア」や「こころのケア」という言葉が普通に用いられています。メディアだけでなく私たちもまた、日常生活のなかで「ケア」という言葉を使って話すことが多くなりました。
しかし、「ケア」という言葉を便利に用いることと、その言葉が意味している行為を実践することとは別の問題です。しかも「ケア」という言葉は、ただ呪文や合い言葉のように唱えるだけでは何の意味も生み出しません。言い換えれば、「ケア」という言葉は、実際に具体的な実践をとおしてはじめて、その意味が十分に理解される言葉なのです。
それでは、ケアとは具体的にはどのような実践を意味しているのでしょうか?私は、「ケアの倫理」の立場から「ケアとは、<ケアする人>も<ケアされる人>も、ケアという関わりを通じて、互いに少しでも<幸福>になることが目指されている実践である」と答えたいと思います。私がこのように答える背景には、ケアが特定の職業や仕事に限定されず、あらゆる人がケアを行うことができ、また、私たちも日々の生活のなかですでに実践しているという事実があります。