はじめに
ケアの文化の構築に向けて
ケアする人のケア・サポートシステム研究委員会
ケアする人の声を「聴く」
「ケアする人は、どのようなケア・サポートを必要としているのか」という問題意識のもと、調査を始めた私たちが出会ったのは「介護している私たちヘルパーの方が、利用者にケアされている」、あるいは「障害のある子どもによって、私が成長させてもらった」と誇らしげに語る人たちでした。このことは、何を意味しているのでしょうか。そして、その意味するところは「ケアする人のケア」を考えるうえで、重要な面を示しているのではないでしょうか。
誰かを「ケアする」というとき、たとえば身体そのものの世話は、介護する人が担っているように見えます。しかし、私たちは目に見えるかたちの身体的な世話だけでは生きていけません。精神的な世話、魂の世話も含めて、自らの存在全体を誰かによって世話され、認められることで生きているのです。
ケアする人が「介護をすることで私がケアされている」「障害のある子どもを育てることで私が成長させてもらった」と語ったのは、介護とか養育という行為をとおして、共に悩み、共に生き死にについて考え、支えられたり癒されたりしながら、お互いの存在を世話し合っていることを意昧しているのです。
普通「ケア」とは、食事や排泄の世話をはじめとする「介助」や「介護」という意味で使われがちですが、本来は「気遣い」や「配慮」など、人と人が出会い、触れ合うところで相互に交わされる人間の本来的な営みも含まれるのです。
ケアする人の現場で語られた「ケア」のありようを背景に、「ケア」が現代社会に生きる私たちにとってどのような意昧をもつのか、そして、「ケアする人のケア」のあり方について、ケア・サポートのあり方について議論してきたことを報告したいと思います。