田中邦子(埼玉いのちの電話研修委員長)
たなかくにこ 昭和31年日本社会事業短期大学卒業(元日本社会事業大学)、昭和54年朝日カルチャーセンターカウンセリング講座3年終了、平成4年日精研心理臨床学院2年終了、昭和32年大阪暁明館病院ケースワーカー2年、昭和53年東京いのちの電話相談員13年、昭和56年主婦之友社育児センター電話相談員5年、昭和57年朝日カウンセリング研究会カウンセリング面接スタッフ、現在に至る。昭和63年東京都婦人相談センター電話相談員2年、平成3年埼玉いのちの電話研修委員長、現在に至る。
私は現在、埼玉いのちの電話の相談員の研修及び相談活動全般について、責任を持つ立場にいます。相談員の研修の立案・実施と共に、相談員の動向を把握し、必要に応じケアするのが仕事です。
私は、人を援助する仕事をしたいと志し、病院のケースワーカーとして働いたのが、社会人としての入口でした。若輩の私は、仕事の中で、それまで想像したこともなかった、現実的な困苦のなかにいる方々と出会い、特に自殺という事態に直面し、自分を支えきれず、長年の夢を捨て、脱退した経験があります。
それから19年後、再び人を援助する仕事に取り組んでみようと思い、東京いのちの電話の相談員になりました。いのちの電話は電話を用いた相談機関で、その活動の中心に自殺防止の願いを置いています。
その電話相談において、私は再び人の自殺という場面に出会うことになりました。若い頃の心の傷もあり、混乱する私の話を、いのちの電話の事務局の人は、2時間もかけて聴いてくれました。話しているうちに私の涙は乾き、混乱もおさまり、事態を正確に見つめ、自分から家路につくことができました。その時、このようにケアして貰えたら、あの若かった時、仕事を捨て、人生に敗退しなくてもよかったのにと思いました。
人が人をケアしようとする時、そこには深い人間関係が生じ、ともするとケアする方の人の足元を揺るがします。
後年、私は埼玉いのちの電話を立ちあげる立場にたち、このことを相談態勢の中にしっかり組み込もうと考えました。今、埼玉いのちの電話には、相談員をケアする事務局の人が数人いて、傷ついた相談員の話を聴くことを大切にしています。事務局が終わってもその人たちは、自宅の電話を使って相談員のケアにあたっています。相談員の心が傷ついたとき、できるだけ話を聴くことが、相談員の精神的健康を保つために大切なのです。