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では、なぜ2通りの船競漕が混在するのか。区別されるのはどんな点か。この2点からみていくと、櫓船は漁業との関連が考えられ、一方、櫂伝馬は水軍に因んだものが多いようだ。周知のように、瀬戸内海のような海流の早いところでは櫂伝馬が適している。また櫂伝馬は多人数を必要とするため、ふだんの作業に使用される船でないことは確かである。むしろ日常の作業には櫓船が適している。そういえば、熊野地方の古座や新宮市・熊野川の競漕にも櫂伝馬船が用いられる。

つぎに櫂伝馬には舳先と艫にダイフリと剣櫂フリが乗り、特に剣櫂フリは酒樽の上に乗るスタイルが一般化している。瀬戸内にかぎらず、松江のホーライエンヤなど儀礼の際の御神幸ではほぼ共通して見ることができる。地区によっては樽を2つ重ねているところもある。しかし、ほとんどのところでは競漕時には樽が外されるようだ。なかには古くは樽をつけ、樽に剣櫂フリが乗ったまま競漕したところもある。なぜ剣櫂フリ等が乗るのか定かでない。

櫂伝馬は古くから広島県東野町・木江町など芸予諸島を中心におこなわれているが、近年因島でもおこなわれるようになった。競漕はなくても祭事だけは継承しているところも多々ある。これらはいずれも広島県宮島・厳島神社の管弦祭(旧6月17日、十七夜祭)に因んだ行事である。

櫓船競漕も岡山や広島等で若干その痕跡を見ることができる。それを代表するのが笠岡市金浦の「オシグランコ」であろう。源平合戦に因んだ行事として今日まで続いているがこの他その周辺でオシゴクとかオシッコの名称で櫓船競漕がおこなわれてきた。これらはいずれも漁業に関する祭の一環である。

ちなみに、「オシグランコ」の名称はオシは押す、グランコは競う意を表す。つまり櫓を押す競争の方言であろう。

また、海上交通の盛んだった瀬戸内海は厳島神社をはじめ金毘羅神社など海や漁に関する大社が多いところである。

 

◎山口県(日本海)

特に日本海側で船競漕が盛んであった。というのは毛利藩のお膝元でもあり、各地区とも毛利水軍養成の一環であったという。この地域一帯はほぼ櫓による和船競漕である。この地域は櫓の技術に長けたところで、漁師たちも櫓の性能を生かして近海はもとより対馬や五島、さらには韓国や東シナ海まで漁に出た。特に対馬へは定置網漁などで多くの漁師が行き来した。

 

 

 

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