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戦前の神宮大会での船競漕(『櫓と櫂』より)

 

なお、実用的な面では中国の新茶をイギリスに競って運んだ「ティークリッパー」の競漕。わが国では江戸期に上方から江戸へ新酒などを競って運んだ菱垣廻船・樽廻船などがあった。

このような競漕を通して舟の型・漕具などの技術の進歩に大きく貢献したことも付け加えておきたい。もっと具体的に述べれば、水軍が存在したところや鯨漁が盛んであったところにはその痕跡が残っている。現在も伝統的に船競漕がおこなわれているところでは、そのほとんどがかつて水軍や鯨漁に関係していたところが多い。つまり、伝統的なもので残存するのは実用的な面と儀礼的な面の両面もっていたところである。

ところで今日では町おこしの行事として、かつておこなわれていた船競漕が復活したり、夏祭のレクリェーション行事として新たに始まったところもある。

では、船競漕は海のある地域では殆んどの所でおこなわれていたかというと、それは定かでない。しかし木造船が主流の時代には広い地域でおこなわれていたことは確かである。わが国の現存する船競漕の分布をみると、北は北海道から南の九州・八重山諸島に至るまで広くみることができる。しかし北方より南方に多く、しかも季節も冬期より夏期の方が多いことから、水に親しみやすい水温のゆるむ時期におこなわれる行事であることがわかる。すなわち東日本に比べ西日本に多いことがわかる。なかでも伝統的な行事としては熊野地方一帯、瀬戸内海・芸予諸島、山口県、九州北部(壱岐・対馬)、西九州(長崎・天草)、奄美地方、沖縄県全域が盛んなところである。

地図上で、西日本を中心にさらに目を広げると、わが国に近い中国や東南アジア地域一帯まで広がっていくことがわかる。そしてこれらはいずれも共通点をもつものが多い。中国や東南アジアの船競漕はいずれも龍神、つまり水に因んだ農耕とのつながりが深い。中国では田植えの終った頃の端午節(旧5月5日)、タイなどでは10月におこなわれることが多い。中国では稲作に必要な豊かな水に恵まれるように、タイでは逆に乾期になって水が多くなりすぎないようにと祈願する。

わが国の舟競べは、長崎のペーロンや沖縄のハーリーが特に有名であるが、いずれも中国の影響をうけたものといわれている。その他の地域についてもなんらかの形で中国の影響をうけていると思われるものが多い。

 

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