日本財団 図書館


『船競漕』について

 

安冨俊雄

 

舟は人の移動や物資の運搬のために古くから用いられてきた。四方を海に囲まれたわが国では、舟は人々の生活に大きな役割を果たしてきた。現在のように空の交通網が発達するまでは海外へはもちろんのこと、島から島への移動は舟に限られていた。現在では、人の移動手段としては航空機の役割は大きいが、物資の輸送に関しては依然として船の存在は重要である。

我々が歴史を問題にするとき、政治、経済、暮らしにおいて海の存在は軽視されてきた。特に江戸期には鎖国政策がとられ、海外との貿易が制限されるとともに、船技術においても遅れをとることとなった。しかし、明治期以降においては急速な西欧文明の受け入れがおこなわれ、船技術も進歩をとげた。そしてその後は海国日本の名を世界にとどろかすほどになり、船技術も世界の最高水準を保っている。こうして見てくると、改めて今日の繁栄を支えてきたのは船の存在が大きかったことを認識させられる。それでも歴史上において、海に対する認識は十分でなかったように思う。

さて、その舟を用いて人々は昔から船競漕(フナクラベ)をしてきた。(といっても船の動力化がはかられるようになって徐々に消滅していった。つまり船競漕は殆どが無動力船である。動力船の船競漕といえば現在の競艇「ボートレース」である)いや、今もおこなわれ継承されている。

では、いつ頃から、どのような目的で船競漕がおこなわれてきたのか。その起源は定かでないが、おそらく人が舟を使って海へ漁に出かける頃には存在したろう。つまり人が2人集まればゲームをしたように舟が2隻そろえば競漕がおこなわれたことは想像にかたくない。かつて木造舟が中心であった頃、漁師はよりよい漁場へ我先に着こうと握る櫓に力が入り自然に競漕になったという。また、漁の帰りには2隻揃うと競って帰ったと、古老たちからよく聞いた。これこそ競漕の原形であろう。こうした形の競漕は古くから存在したろう。

また新しい舟が建造されると、その舟の性能を試すため、舟主自ら、また周囲からけしかけ競漕におよんだ。そして舟主や舟頭・舟大工は自らの技術を自慢したものだ。それがまた商売に反映するため舟大工らの技術の競い合いは尋常ではなかった。さらに漁師たちは漁がいつまでも豊かに続くように、豊漁になるようにと海の神に祈願し、祭事をおこなって神意を占うために競漕もした。このように遊戯・実用・祭事儀礼として船競漕がおこなわれてきたように思う。

 

009-1.gif

銅鼓にあらわされた競渡(広西自治区博物館)

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION