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1998年に、経済状況はインフレが約79%、銀行預金金利が約65%、経済成長率が約マイナス13%、ルピアの対米ドル為替レートが17,000と最悪期を迎えた。他のアセアン諸国が1999年から景気回復の軌道にのったが、インドネシアは1999年もGDP成長率は0.3%に留まった。

政府が経済禍福のための最重要課題としている銀行再建および民間企業の債務再編では、2000年にはいってようやく具体的な進展が見られ始めた。2000年5月時点でインドネシア銀行再編(IBRA)に移管された清算、凍結、国有化銀行などからの資産や回収不能の再建の総額は、256兆1,950億ルピアに上る。このうち、再編過程にあるものは全体の58.4%に相当する149兆5,540億ルピアで、再編案が最終合意に至ったものは20兆9,670億ルピア(同8.2%)となっている。しかし、IBMは依然GDPの6割に相当する移管再建を抱えている。

2000年の実質GDP成長率をみると、4.8%の伸びで、ようやく回復基調になったもようである。2000年の成長を支えたのは、合わせてGDPの約5割を占める農業部門の(対前年比1.67%増)と製造部門の(同6.20%増)の成長である。さらに運輸通信部門の伸びは一番高く9.38%だった。この高成長は、経済危機以前の低い水準に保たれている石油製品価格のコスト効果と情報技術(IT)化が始まった通信事業の成長によるものである。製造業部門では自動車生産台数が29万8,000台に回復したことが象徴的である。懸念されていた建設部門ち6.75%の成長を記録したが、これは急速に回復した消費を背景に、ショッピングモールの建設や失業対策などの公共事業があったためである。

また、石油輸出45.4%、非石油輸出22.9%の急増、輸出全体の27.4%の拡大に基づく生産活動も要因となった。支出GDPに見られる特徴は粗固定資本形成が17.91%の伸びを示し、GDPに対する割合を24.32%に高めたことである。しかし、これは経済危機以前の対GDP比30%に達していない。

1人当たりのGDPは630万ルピアで、これを1米ドルあたり9,000ルピアのレートで計算すると700米ドルとなる。GDPから海外移転所得を控除した1人当たり所得は641米ドルであり、これは世銀がインドネシアに対する国際開発協会=第2世銀(IDA)援助の基準とした580米ドルを上回る。

しかし、2000年の成長が2001年にも持続するかどうかは微妙である。成長をけん引してきた輸出部門が、米国の輸入市場の伸び悩みに影響されることが懸念されている。他のアジア諸国の経済にはすでに暗雲が見え始め、また、アジア経済をけん引してきた米国経済も調整過程に入った。ただし、インドネシアはタイやマレーシアに比べて電子産業などのハイテク分野の開発が遅れており、米ハイテクバブル崩壊の影響度は低い。また、原油価格の急騰を原因とする石油輸出額の急増は期待されない。

経済成長をさらに押し上げるためには経済構造改革のために抜本的な政策変更が必要であるが、ワヒド政権は旧体制下での既得権益グループの圧力をかわす力量に欠けているようで、信頼感の回復ができないままである。中央統計庁は2001年の成長率が2000年を下回ると予測している。世銀によると4%成長の見込みである。過去5年間の主要経済指標を表1-1に示す。

 

 

 

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