1. はじめに
海洋の環境問題が大きな関心事項となり、海洋環境の保全のために陸上及び海上の汚染源を適切に管理する必要があることの重要性が認識されたのはそれほど古いことではない。海洋は国境に関係なく連続的につながっているため、海洋環境の保全には国際的に協調した地球規模の取組みが必要であるが、海洋環境の保全が国連海洋法条約の中で重要事項としての座を占めてきたのは20世紀の最後の四半世紀になってからである。
領海、排他的経済水域、大陸棚、深海底開発、海洋環境保全等に関する包括的な海洋法秩序を定めた国連海洋法条約が国際的に発効したのは1994年11月であるが、海洋環境保全に関してはそれ以前に大きな海洋汚染事故が続発したため海洋汚染を防止するための国際条約の必要性が認識され、2つの重要な国際条約が成立している。一つは廃棄物等の海洋投棄処分及び洋上焼却処分による海洋汚染に関する“1972年の廃棄物の投棄による海洋汚染の防止に関する国際条約(通称「ロンドン条約」)で、他は本報告書の主題である船舶による海洋汚染を防止するために1978年国際海事機関(International Maritime Organization: IMO)総会で採択された”1973年の船舶による汚染の防止のための国際条約に関する1978年の議定書(通称「MARPOL73/78」)である。
海洋に限らず環境の保全のための投資は、従来アダム・スミスの自由競争原理に裏打ちされ効率と性能向上を唯一の価値基準として進められてきた科学技術の開発方向を大きく変えるものである。米国において環境問題を経済原理の中に導入する転機となった法律は、1969年の連邦環境基本法(National Environmental Policy Act of 1969: NEPA)である。NEPAは、経済原理の中に環境問題に関する国家の立法による干渉を認めた。さらに、NEPAは連邦の主要公共事業に対し事業実施前に環境に与えるインパクト調査を命じ、その後の米国の環境の浄化に大きな影響を与えている。もちろん、米国はNEPA以前に多くの環境問題を立法化しているが、本格的環境立法と環境問題に対する政府機関のスムーズな対応が確立したのは全てNEPA以降である。
NEPA後の最初の10年、つまり1970年代は環境庁(Environmental Protection Agency: EPA)も試行錯誤の時代で、連邦方針を州や地域に押し付ける態度であり住民との摩擦が多かったが、1980年代に入り州や地域と相談しながら具体的対策を進める方向に改められている。また、この時期、連邦議会も一定の事項についてはEPAを通り越して直接州に具体的方策の立法権を与える等配慮している。1990年代は米国のみならず世界を驚かせたアラスカ州におけるエクソン・バルディーズ号の油濁事故に始まる10年で、米国でもやっと人々が船舶の海洋汚染や大気汚染に関心を持つようになった10年であるといえる。また、この10年は各種環境団体が環境行政に少なからぬ影響を及ぼすようになった10年でもある。