日本財団 図書館


5.3.1 法人組織及び株主

海運業は比較的に規制が緩やかで、国境に縛られていない。19世紀の初期には、海運業は通商の発達と深く結びついており、当時の海運業は、通常、共同経営の形で貿易業者や貿易商人に所有されていた。19世紀後半頃までには、船舶所有はより独立したサービス産業になっていたが、当時の巨大海運業者は、未だ、帝国貿易とつながっていた。第二次世界大戦後、貿易パターンの変化や海軍の余剰船舶が入手できるようになったことから、新規のより投機的な船舶所有者の参入が可能になった。ヨーロッパでは、ギリシャやスカンジナビアの大商船隊の多くが、世界貿易が大幅に増大したこの時期に建造された。少なくとも小型や古いバルクキャリアに関しては、資本面でも技術面でも、市場参入にあまり障害はなかった。変化の激しい運賃市場のなかで、巨大な富を一瞬にして築き上げたり、又、反対に失ったりすることが可能であった。船舶所有会社を税金が有利な場所に置くことによって、個人や法人の税を避けることもできたのである。戦後の海運ブームに乗って発生した海運会社の多くは、個人企業家によるものであり、その後、その家族によるものとなった。この様にして築き上げられた多くの海運グループは、単一目的の船舶所有子会社の無数の集まりであり、便宜置籍を提供する税金の有利な国に登録し、そのために安い賃金の乗組員の配乗が可能であった。こういった会社は、ロンドン、ピレウス、モンテカルロ、オスロ/ベルゲン、あるいは、ゲーテブルグ、ストックホルムといったところに中央管理会社を持っている事が多かった。個々の所有者の個人的な保証の方が、この様にして出来た企業の法人保証よりずっと有効であるとみなされる事が多かった。この傾向は、特にロンドンやピレウスをベースにしたギリシャの船舶所有社会にみられた。典型的な一族持ち株会社の構造が図5.Bに示されているが、多くの場合、融資構造は、多数の、1、2件の船舶融資案件の混合したものであった。

 

図5.B:一族企業の構造の事例

037-1.gif

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION