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予想外のことに驚き、折衝いたしましたが、その権力に屈し、その一部として実行開催のやむを得ない第四回となりました。参加する少年には靖国神社より苗木(銀杏、さんご樹)を全員いただきました。

▽第五回は少年剣道のタイトルを表紙にと、お願いして、全日本少年武道錬成大会、剣道之部、第五回全日本少年剣道錬成大会として開催いたしました。本大会にはハワイの少年剣士が初参加して友好をあたため、日米紅白対抗試合を公開演武いたしました。少年剣道に誇りある日時が得られたことは過去にないと考えます。

▽第六回から第九回までは任意団体であり、資金、場所のない本連盟は耐乏生活の中に、少年剣道育成に努力を怠らず、大麻会長は「馬鹿は国をまもり、利口者は国を滅ぼす」と常に言われ、徹底的親馬鹿精神に徹せられ、九回を数え、無事盛会であったことに感謝されておりました。同志の団結は以前に増してかたく、その組織も充実して、こころひそかに財団法人を企画しておりますうち、初代会長大麻勇次先生、志半ばにしてご逝去(昭和49年3月)せられました。二代目会長小沢丘先生は、初代大麻会長の御遺志を継がれ就任早々、財団設立に着手、中村鶴治先生に準備委員長を命ぜられ、小沢会長陣頭指揮の下に財団設立に奔走、永年の功績と武神の助けにより、五月発起して十月二十八日、法人認可され、関係者一同感激感涙にむせびました。

昭和五十年七月二十七日(日)、堂々と第十回全日本少年剣道錬成大会と大きく書出して、日本武道館、全日本剣道連盟との共催で、父兄併せて一万人の一大錬成大会を開催いたしました。佐藤総理大臣の「魂」を始め「闘魂」「勇魂」「不動心」等、代々の総理大臣揮毫の手拭いをはち巻に、少年剣士の錬成は頼もしいかぎりです。

▽第十一回は、日本剣道少年団発会を記念して剣道少年団団旗を先頭にして入場、続いてカナダ、ブラジル、ハワイ、米国、フランス、スイス、イタリー、スウェーデン、韓国、台湾、シンガポール、と十二ヵ国の少年少女剣士の参加で国際色豊かな大会を開催いたしました。

▽第十二回は七月三十日、三十一日両日に亘り、基本錬成並びに試合錬成と共に、第二回国際剣道大会を十四ヵ国の少年剣士により、高松宮両殿下の御臨席を仰ぎ、盛大に実施いたしました。

▽第十三回は、十六会場で二日に亘り小・中学生併せて八▽▽チーム、団体試合並びに個人試合錬成を行いました。

団体試合は十六会場勝チームにより決勝トーナメント戦を展開、「真実」日本一最優秀チームを決定、同時に個人試合においてもトーナメント法により、日本一を決定いたしました。

▽第十四回は、昭和五十四年八月三日、四日両日にわたり団体、個人試合に日本一の争奪戦が展開されました。また、遠くハワイ選手が小崎会長の引率で参加し、試合巧者の日本少年剣士に勝負で破れてもよい勉強をし、友を作り、夜は先輩の応援に第四回世界剣道選手権大会会場の北海道に飛ぶ。十年前、本錬成大会に参加、日本各地を武者修行した少年剣士ダグラス江島外五名は世界大会で三位に入賞した。「子供は必ず大人になる」ハワイ剣道連盟指導者に敬意を表す。大会終了後、北海道登別函館にて日米親善交歓稽古をして東京に上り、東京にて、最後の交歓稽古(武者修行)をし、送別パーティをして帰国する。国際色豊かな大会でした。

▽第十五回は、昭和五十五年八月五日(火)・六日(水)の両日に亘り開催され鈴木新総理より「洗心」の揮毫と「わが国において古来から武道としてきた剣道の理念は剣の理法の修練による人間形成であります」との祝辞をいただきました。第一日目は日本剣道界の代表的範士の先生方ならびに全日本剣道選手権大会の第一回から第七回までの優勝者、そして東京警視庁師範を元立ちに迎えての基本錬成に始まり、小学生団体試合錬成を行い、第二日目は全国選抜小学生・中学生個人試合・中学生団体試合錬成を行いました。

参加数は小学生団体四二一チーム、中学生団体三七八チーム、個人選抜小学生六一名、中学生六一名と、一万名を越す大会となりました。

 

 

 

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