2. 里山の成り立ち
この府域周辺に広がる里山は、私たちの祖先が弥生時代から今日まで、およそ2000年にわたって営んで来た水田稲作農耕と深くかかわって発生したものと考えられます。すなわち水田農耕では一定の土地を繰り返し使用するため、土地がしだいに痩せて来ます。そこでこれらの土地への施肥の必要から、集落近くの森林から落ち葉や下草を集め、人や家畜の糞尿とともに堆肥として田や畑に鋤き込みました。また落枝や下木は「いろり」や「かまど」で燃料として使われたあと、木灰として灰桶に集められカリ肥料として田畑に撒かれました。
私たちが最も身近な自然として親しみのあるアカマツ林は、このような森林からの養分奪取の結果生まれたものと言われています。この他農具や生活用具を作るための用材林、田や畑への用水や飲み水を確保するための水源林、さらに「みやこ=都市」の成立と拡大によって大量のマキや炭の需要※1が起こり、そのためのクヌギ・コナラ(地域によってはケヤキ、ブナ、ナラガシワなどのナラ属や、ウバメガシなどの専用林が作られた※2などからなる薪炭林などが近年まで大切に維持されて来ました。
このようにして発生した里山は、ブナの原生林や天然林などと異なり、我が国に農耕文化が伝えられて以来近年までずっと人手の加わり続けた活用林野であり、二次的に成立した自然なのです。そのためその態様は人々の歴史とともに変遷しつつ、自然と人間が織り成す独特の風土、景観を作り上げています。
※1江戸時代後期の年間炭の需要=2382,600俵(36,100t)
※2天正2年(1574年)池田炭(中川勘兵衛清光)・元禄2年(1689年)備長炭(備中屋長左衛門)・寛政5年(1793年)佐倉炭(川上右仲)などの製炭技術が完成し薪炭の大量生産が行われたと記録される。