日本財団 図書館


財団法人日本ナショナルトラストからのメッセージ

文化財保存について…後藤恭彦

 

日本ナショナルトラスト(旧観光資源保護財団)は一九六八年に設立され、事務所は新国際ビルの一室からの出発でした。その後一九七〇年に旧丸の内ビルヂング(以下丸ビルという)にあった堀木鎌三氏の事務所に移転した。

丸ビルは一九二三年に竣工してから七十数年を経た古い建物であった。平成七年(一九九五)に阪神淡路大震災が発生したのに鑑み、建物の耐震性が確保できない理由から丸ビルを建替えるため全テナントが移転するよう三菱地所から協力を求められた。

関東大震災、戦争も乗り越えてきた建物は、東京の丸の内の顔であり、東京行進曲にも歌われ、憧れのオフィス街として人々の心の中に今も生きている。

この丸ビルを自然景観・歴史的文化遺産を保存活用する活動を推進している本財団は、是非残したい想いで丸の内の景観を考えるシンポジュームを開催し、各界の方の意見を聞き、また、市民の方々の丸ビルを保存する運動を実行した。三菱地所と丸ビルを保存する交渉を重ねているうちに、丸ビルに入居しているテナントは櫛の歯の抜けるように移転し、気が付いた頃は、丸ビルはゴーストタウンの様相を呈した。

その頃、安田邸庭園の寄贈を当財団が受けるため、相続税取得税等の減免申請書の提出期限が迫っており、書類作成のため夜が更けるまで仕事していた。夜中の丸ビルは、ゴキブリの走り回る音と、ナショナルトラストの職員が打つワープロの音が聞こえるだけであった。食堂も移転してしまった。財団理事長ほか担当は毎日、深夜東京駅のガード下で空腹を満たした。幸い念願かなって安田邸は当財団に寄贈されることとなり、保存決まって現在修復を進めているところである。

しかし丸ビルは、三菱地所に幾度も保存を願う交渉をしたが、一九九七年に景観保全等要望書を手交し、日本ナショナルトラスト活動の第一歩を踏み出した新国際ビルに移転することとなったのも奇しき縁である。文化財を保護し後世に継承しようとすることが同じ頃、丸ビルは不調となったが、安田邸が後世に残る文化財となったのがせめてもの幸せである。

…<財>日本ナショナルトラスト専務理事

 

【編集雑記】

なかなか寝付けない夜、家族は寝静まり、ただ一人暗闇に放り出される。恐怖が先立ち目を閉じるが、心臓の音だけが高鳴っている。その音がいつの間にか、絶え間なく列をなして歩く人々の足音に聞こえてくる。幼年時代、よく熱を出して寝ていた時の記憶だ。ところで、その時に幻視として現われる行列の人たちは、盆踊の人たちではないかと今回の特集号で思いあたったのだ。

というのは、私の小学生のある夏休み、父の写生旅行に波切へ連れて行かれた時のことで、斜面にへばりついている漁師の民家と急な石段は今でも脳裏に強烈に刻まれている。たまたまその夏休みに盆踊を見ることになった。墓地の近くで行われた静かな踊りで、踊る人々の顔は被り物に覆われはっきりと見えない。都会で行われている盆踊りとは全く異なり寂しさと不気味さだけが印象に残っていた。

そして、今回、渡辺良正さんが撮影した波切の写真を見ると確かに大きな傘が列をなしている。それぞれの傘には、亡くなった人の霊が宿るという生前故人にお世話になった人たちが、傘を交代で握り合う。私が熱にうなされて幻視していた行列の人は波切の人たちなのだと確信を持った。念仏踊りや盆踊りは、特に新盆を迎える遺族には辛いものがある。人間には誰にもいかんともしがたい死という大きな問題に直面しなければならない。それゆえ人間はあの世とこの世の互換性を強調し、魂鎮めのために盆踊りをしたのだろう。

しかし、その死を余りにも悼み、哀しむゆえ、クローン人間技術に頼るという話は未来の話ではないようだ。イギリスのクローン人間技術に反対する運動家は、「死に対する人間の感情として当然の成り行きである、だからこそ今クローン人間技術開発に反対しなければならない」と。またジュラシックパークの原作者マイクル・クライトンは「人間は遣り残して死んでいくことが、人間たる所以で、それを次代の人が受け継いでいくことこそ人間世界が成り立つ」とTV放映でクローン人間技術に批判的発言をしていた。

残された者たちの毎日流す涙によって清められていく魂は、お盆を迎えると、やさしい手振りとゆっくり歩む盆踊りで、一挙に昇華していく。日本人が久しく受け継いできた民俗の心性によるものであろう。その霊魂観を見るとき余りにも深い寂寥感に満ち満ちている。(眞島)

 

 

 

前ページ   目次へ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION