春節期間中にまつられる中でもっとも上位に相当するのは天地爺であるようだ。天地爺というのは俗称で牌位には「天地三界十方萬霊之神位」と書かれている。天地爺は祭壇中央に置かれる。除夕の晩と正月一日の朝にまつられた後、中庭に牌位を持ち出して焼香して天にもどってもらう。紙製の牌位を使う場合には、牌位ももやしてしまう。
祖先の牌位や遺影などは天地爺の脇に置かれるのが一般的だが、正月一日を過ぎると中央にずらされる。また、知識人であれば孔子、商売人であれば財神など各家庭ごとに様々な紙の牌位を並べてまつりをするのだ。これらは、正月一五日まで祭祀をおこなうことになっている。
正房中央の祭壇以外にも、土地・門神堂へのまつりも欠かさない。住まいを常に見守る神々のほこらに格別の感謝をささげる。また、竈にも供え物をする。他の地方でも竈には竈神が宿り、家人の行状を最高神である玉皇上帝に伝える存在だとされる。だから、図像や祠などで竈神を常設させている地方も多いようだが、平遥では春節期間以外にはまつられないし、特別な像などもない。というのも、平遥では居室に設置されている暖房装置として
(オンドル)に火を入れるために各室に竈がある。その一方、「神和人不能在一致」(神と人は一緒にいてはいけない)ということわざもよく聞かれる。つまり、居室には神の牌位も図像も置くことができないことから、竈神もこのようなまつりかたになるのではないだろうか。
春聯をはじめとする住まいの装飾については、大きな矛盾もなく各家庭が協調しながら所定の場所へ飾り付けることができているけれども、祖先や神々の祭祀の場所については大きな矛盾が生じている。非血縁の複数家族が住まう住宅では、とくに正房中央でまつられるべき先祖や神々の配置でさまざまな妥協策がとられることになる。
正房全体を使える場合には、原則どおりの配置ができるものの、正房を二分割して二家族で使う場合、両家の先祖の牌位を並べて置くこともある。少なくとも祖先の牌位については原則的な秩序を守ってはいる。正房が使えない家族については、なるべく居室以外の場所を選んで配置するものの、家族の中に占める祖先の位置と空間の序列とを一致させることができない。さらに、占有できる部屋が一室だけの家族は居室に祖先や神々をまつらざるをえず、「神和人不能在一致」という原則すら守れない。このように様々な条件に制約をうけながら、祖先や神々の祭祀をおこなわざるをえない現状にある。
住まいを飾り付け、妥協しながらも祖先や神々を配置すれば、あとは除夕の御馳走をかこんで新年の到来を待つだけだ。
の上に並べた食卓に豚の脂身の煮込みや魚科理が並ぶ。団円飯といって除夕の食卓を家族全員で囲むと一年中幸せであるといわれているから、外は零下の世界でも、
の上は暖かく湯気を囲む家族の顔も明るい。深夜一二時をまわると新年がやってくる。みなで中庭に出て、一斉に爆竹をならす。爆竹には魔よけの効果があるから、新年の厄払いともいえるだろう。また旺火といって、正房の前に置いておいた炭の塊にも火を放つ。花火や爆竹でひとしきり楽しむと、祖先を筆頭に神々への祭祀をおこなう。祖先や神々が序列どおりに並べられるのを原則とするのと同様に、年長者から順番に焼香と叩頭をくり返していく。そして、朝日がのぼるのを待って爆竹がもう一度鳴らされる。除夕からの興奮で正月一日の起床は遅く、みな午後からゆっくりと新年の挨拶まわりにでかけていく。
元宵節のまち
農暦の正月一五日、新年の明けた最初の満月の晩を元宵節という。除夕から始まった正月行事の締めくくりの日でもある。それぞれの家庭では、節句と同じ呼び方の元宵という月見だんごに良く似た餡をくるんだもちを茹であげる。この日まで線香を絶やさなかった神々に正月最後の供物として捧げた後、家族みんなで食べる習わしになっている。この日は、朝から夜まで楽しい行事がめじろ押しだ。元宵を食べたら秧歌隊のパレードを見物しにまちにくり出す。沿道に出ている露店で買った棗菓子をしゃぶりながら、音楽にあわせて獅子舞や龍灯などの伝統芸能が舞い踊る隊列を追いかける。飽きたら工場の前庭に出された戯台で晋劇を見たり、射的で遊んだり。この日に市楼に上ると縁起が良いから、市楼によってみる人もいる。