一転して新盆の家を訪れての和讃は、他界したときの状況によって言葉に変化がある。
例えば幼い子供の場合
…
幼き子どもが力なく
はや、日も西に傾けば
持ち花をば振捨てて
西を向いては父恋し
東を向いては母恋し
わっと泣くその声が
谷にこだまがひびくれば
あら恐ろしや鬼様が
熱鉄棒を引き下げて
幼い者を追い回し
責めさいなめしありさまは
目もあてられぬしだいなり…
和讃が独特の節回しで歌われ、縁者の心を暗然とさせるが、笛、太鼓、鉦の囃しや活発な踊りなど、生の躍動が悲しみよりの解放となり、死者への鎮魂へと結びつく。新盆でない人々には、盆の踊りが無病息災や五穀豊穣への願いなどに容易に転化される一因でもある。
一通りの新仏の供養が終ると、集落内での老幼男女のしとやかな盆踊りが始まり「すくいさ」「十六」「おんたけ」などの曲で夜が更ける。