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西馬音内のお盆行事…小坂太郎

 

風土

 

秋田県の穀倉地帯横手盆地の南部、西馬音内(にしもない)川のつくる扇状地に位置し、西に出羽山地を負う雄勝(おがち)郡羽後(うご)町西馬音内(にしもない)は、典型的な純農村地帯である。

この地域一帯は歴史的にも早くから開け、古代大和朝廷の進出による、開拓経営基地が置かれた拠点とされている。すなわち、出羽北方内陸部の蝦夷(えみし)を制圧し順化させる政策により、七五九(天平宝字三)年に造営したとされる雄勝城(また雄勝柵)の擬定地となっている。

中世戦国末期は、雄勝郡に入部した小野寺経(つぐ)道が、一二七七(建冶三)年この地に西馬音内(にしもない)城(支城)を築かせ、次男道直を城主に置いた。以来、八代目茂道の時代に山形の最上氏の侵攻によって落城する文禄年間(一五九二〜九六)まで、安定した支配が続いていた。

近世の秋田藩主佐竹(さたけ)氏の下では、参勤交代の大名行列も往来する交通の要地として、物資の集散も盛んになり、一六六四(寛文(かんぶん)四)年には藩庁から市場の開設が許可された。以後、純農村から次第に商業地として発展し、雄勝西部の中心として栄えた。富裕になった商人たちは進んで土地集積に着手し、次第に地主の町としての文化も形成されていった。

波のように風にそよぐ田圃の稲、常緑的な艶にみちた草や樹木、湖のように澄んだ空と流れる雲、それらは、そこに定住する人びとを、弥生(やよい)的な心象世界に包みこんでしまうようである。八月の西馬音内(にしもない)は、「みどりとおどりの里」になる。

ここには、この土地に埋もれた先祖の霊の鎮魂(ちんこん)のための民俗芸能、西馬音内(にしもない)盆踊り(国指定無形民俗文化財)がある。そこに息づく土俗の闇が、いかに豊饒(ほうじょう)ないのちを育み、それを象徴する幻として形象し、今に受け継いできたか。

北の盆を燃えつくす篝火(かがりび)に映える踊り、優美な振りと衣裳の布の線の流れから、観る人びとは陰影あざやかにその内部に、雪女の裸身また秘められた仏像の輝く肌を想像する。

 

お盆の行事について

 

その慰霊の盆踊りは、八月十六日夜から十八日まで行われる。その日まで、当地に残るお盆の習俗は、次のように進められてゆく。

七日(ナノカビ)…生え茂る草をむしり、掃き清める墓の掃除日。細木やカヤ・ヨシなどを使って、墓の前に供物(くもつ)を上げる盆棚(ぼんだな)(墓棚ともいう)を作る。

草市…盆市ともいう。十二日に開かれ、仏前や墓前に供える蓮の葉や、いろいろな盆花・野菜や果物・佛具を売る店が並ぶ。

十三日…座敷の正面か仏壇の前に机を置いて、「おたな」(精霊棚(せいれいだな))を作る。棚にはガズギ(マコモ)の筵(むしろ)を敷き、奥に位牌(いはい)を置く。上の方に紐をはり、半紙を二つ折りにかけ、煎餅(せんべい)状の菓子(とうろんこ)や小さな青リンゴ・鬼灯(ほうづき)・木ササゲなどを二個糸で結んで下げる。赤飯やそうめんや季節の野菜・果物など、供物は蓮(はす)の葉の上に置き、盆花を飾る。

墓参り…その日の午後四時頃、家族そろって供物やろうそく・線香・水などを持って墓地へ行く。墓棚(はかだな)へ蓮の葉を置き、供物を上げて拝み、墓前で小さな迎え火を燃す。帰宅して夕食を取ってから、門口で迎え火を焚(た)く。井げたに細く割った木を積んで火をつけるのだが、これを「おじやれ」ともいう。横手盆地付近では、この火の明りで、おじやれ(来なさい)おじやれ」と唱えたことに語源があるという。

なお戸主は家族とは別に親戚を回って、家々のおたなを拝んで歩く。また菩提寺(ぼだいじ)の位牌堂に置かれている、先祖の位牌を拝む。

迎え馬…ガズギ(マコモ)を刈って乾燥させた材料を使って、馬やそれを引く人形を作り、十三日から軒下にさげる。精霊を迎えるこの乗物(馬)は、人と手綱(たづな)でゆわえられている。

十四・十五日…朝から仕事休み、盆礼に回る。僧侶が檀家(だんか)を回り読経し、おたなを拝む。里帰りした盆の客などをもてなす料理で、伝統的な母の味は、鰊(にしん)の昆布巻(こぶま)きとカスベ(干したエイ)の甘煮であった。

 

 

 

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