資料:【日野町観光パンフレット】に紹介されている町並み
歴史
近江日野商人館
典型的な日野商人本宅の特徴をそのまま今に残す建物で、館内には行商品や道中具・家訓などが展示されており、日野商人の歴史やその生きざまなどを肌で感じることができます。
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近江日野商人館
鬼室(きしつ)神社
天智天皇の時代に、百済から渡来し学職頭(ふものつかさのかみ)(当時の文部大臣)を務めた鬼室集斯(きしつしゅうし)の墓を祀る神社で、今も学問の神として信仰されています。
蒲生氏郷
少年時代から織田信長に従い、信長の娘冬姫を妻としました。本能寺の変の後、豊臣秀吉に従い、戦功により奥州(伊達正宗など)の押さえとして会津92万の大名となりましたが、40歳で世を去りました。茶道でも利休七哲のひとりとして有名です。
蒲生氏郷公像
郷里日野を望み歌を詠んだ情景をモチーフにした銅像です。
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蒲生氏郷公像(ひばり野公園)
中野(日野)城跡
氏郷が生まれ育ち、本能寺の変の時には信長の妻子一族がこの城に身を寄せました。
信楽院(しんぎょういん)
蒲生氏の菩提寺で、日野出身の画家高田敬輔(けいほ)が描いた豪快な雲竜の天井絵があります。
音羽(おとわ)城跡
蒲生秀綱(氏郷の5代前)が築城しましたが、蒲生家分裂で落城しました。城跡は公園になっています。
金剛定寺(こんごうじょうじ)
聖徳太子の創建とされているこの寺には、重文の仏像4体があります。
西明禅寺
竜王山麗にあるこの寺には、多くの石仏と重文の木造十一面観音立像(秘仏)があります。
花
ほんしゃくなげ群落
4月下旬〜5月上旬にかけて国の天然記念物に指定されている約2万本のほんしゃくなげが咲きます。
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鎌掛谷ほんしゃくなげ群落
藤(正法寺(しょうぼうじ))
5月上旬〜中旬にかけて樹齢300年を超える藤の藤棚に、長いもので1mに及ぶ花房が垂れ下がり、見る人を楽しませてくれます。
さつき(雲迎寺(うんこうじ))
6月上旬〜中旬にかけて約千株のさつきが咲きます。その中でも樹齢380年のさつきは、高さ2mもあり「花の津波」のようです。
日野商人
滋賀県の東部、湖東地方(日野や近江八幡・五個荘など)を中心に江戸時代より輩出した商人を「近江商人」といい、日野地方を中心とした商人を特に「日野商人」と呼んでいます。
日野商人は氏郷により開けた日野から奥州の道を、日野椀や薬(現在も製造されてる萬病感応丸(まんびょうかんのうまる))を持って勤勉・倹約・正直・堅実を信条に行商する一方で、利益の多くを地域社会に還元し、町の発展に尽くしました。
馬見岡綿向(うまみおかわたぬき)神社
中世には蒲生氏、近世には日野商人の崇拝を受け、境内には拝殿をはじめ多くの立派な寄進物が残っています。
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馬見岡綿向神社
正明(しょうみょう)寺
気品高い本堂(重文)は、後水尾上皇の勅願により京都御所の一部を移築した桃山建築です。
〔町並み〕
岡本町や清水町
板塀の家々、紅がらの格子戸、前栽の植え込み。落ちついた町並みが、日野商人の勤勉・倹約の信条を物語っています。
新町
城下町ならではの「のこぎり歯状」の家並みと、日野祭の時だけ開けられる塀についている格子窓(桟敷窓(さじきまど))が見られます。
祭
日枝(ひえ)神社の春祭(南山王祭)(4月4日)
「ほいのほり」と呼ばれる日野地方特有の20数本ののぼりが、境内を華やかに彩り、春のムードいっぱいの祭です。
日野祭(5月2・3日)
豪華に飾られた3基の神輿と十数基の曳山が祭囃子に合わせて繰り出し、馬見岡綿向神社へと向かいます。湖東地方を代表する春祭で、県の無形民俗文化財に指定されています。
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日野祭
火ふり祭(8月14・15日)
100本以上の松明が松の木めがけて空高く乱舞し、晩夏の夜空を彩る光景は、日野のお盆の一大風物詩です。松明が松の木に多くたまればその年は豊作といわれています。
近江中山の芋競(いもくら)べ祭(9月1日)
平安時代末期に始まったとされるこの祭は、熊野神社の氏子が丹精込めて育てた唐の芋の長さを、中山の西と東で競うユーモラスなもので、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
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