J 水陸インターフェイスの生態 ―海岸に関する市民の科学的知識のネットワークの構築―
清野聡子 (東京大学大学院総合文化研究科助手)
I 汽水域の稀少生物の生態 ―カブトガニを例として―
初年度の1998年度には、水陸インターフェースの自然的要素に注目した。とくに、環境保全上重要視されている、汽水域の稀少生物の生態に注目した。
河川から河口を経て海岸・沿岸に至る空間は、陸と海、河川と海洋の「インターフェース・ゾーン」である。一般に、河川上流部ではほぼ同一密度の流体が一方向に流下するのに対し、海域では潮流や不規則な方向・周波数を持った波浪の作用を常時受ける。このインターフェース・ゾーンは、水域や陸域のみの場所よりも物理特性はより複雑である。
例えば、海と陸、海と川の接点となる河口では、塩水・淡水の混合状態が異なる密度流が存在する。洪水時には河川流の著しい作用を受け、また高波浪時には波浪の作用も無視できない。また、自然システムとしての物理条件の複雑性だけではなく、生態系もそれに応じて複雑である。生物にとっては規則正しく起こる潮汐変動に起因する生息環境での浸水の有無、および塩分や温度の短時間変動が激しいため、それに適応した生物のみが生息している。一方、この水域は陸域からの栄養塩類の供給が大きいことに起因して、バイオマスが大きいという特徴を有している。
このような特性を有する水域、または空間に関する研究方法には、河川、海岸、海洋それぞれの伝統的な方法があるが、上記のような特徴を持った河口を境に、学問的な研究領域も区分されている。上流部での水流に係わる各種問題は河川工学や陸水学で研究され、海は海岸工学や海洋学によって扱われている。また、河口域、海岸、沿岸は平地に恵まれているため、農耕を中心とした人間生活が歴史的に営まれている。そもそも、人間は陸上生物であるが、生存には水が不可欠である。そのため、水陸インターフェース・ゾーンは人間活動の影響も最も受け易いエリアと言ってもよいであろう。
カブトガニの生態
「水陸インターフェース」に生息する注目すべき生物としてカブトガニを対象として取り上げた。
カブトガニは節足動物門剣尾目に属し、「生きている化石」として知られている。かつては瀬戸内海や九州北部の内湾干潟などに広く生息していたが、沿岸開発などにより環境が激変した結果、現在では絶滅危惧種とされるほどに生息数が減少している。本種への社会的関心は高く、沿岸環境保全のシンボル的存在となっている。近年では、土木事業の遂行にあたって絶滅危惧生物の保護への配慮が求められており、カブトガニも対象となっている。
カブトガニは、1]生態系指標種、2]象徴種という特性をもつ。生態系の指標種とされる理由は、生活史において産卵地として砂浜を、幼生生息地として干潟を、成体生息地として沖合を利用しているため、沿岸環境の要素がセットで健全な状態で残されていない限りは生息ができないことによる。また象徴種としては、学術的に生きている化石として認知度が高く、カブトガニという名の通り特徴的を形態を有するために研究者だけでなく一般市民にも判別が容易なこと、歴史的に小中学校での理科教育や課外活動での自然保護教育の対象となってきたこと、水生生物として比較的大型であるため産卵時に海岸や河岸に姿を見せて理解が容易なこと、繁殖時に雄が雌に鋏脚で絡まって番となる特異的な行動など、多くの要件をもっている。
現在、各地では人為的改変により、多くの生物種や個体群が絶滅の危機にさらされているが、カブトガニも例外ではない。