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現場では医者や看護婦はあまり必要でない、なぜなら予防可能な疾患が多いからで、人々に何度も何度も予防の方法を教えないといけない。青年海外協力隊はJICAの専門家に比べ現地の人への人気が高い、なぜならJICAは現地のofficialな人としか話ができず、協力隊はもっと草の根的な活動ができるからである。日本から他の国を見るというのは便利から不便を見るということだが、文化・宗教・歴史を見ていないところがある。

 

(2) バルア先生の半生

そして、後半はバルア先生の今までの経歴、活動についてスライドを用いて説明してくださった。Self identityを持つことの大切さをバングラデシュの独立の歴史と共に語ってくださり、フィリピンで学んだことをバングラデシュに生かそうとしたとき、それまでのいろんな国をまわった経験から、一つの村だけで活動するよりもっと多くの人材を育てる方がいいと考え、国際保健に携わるようになったとのことであった。

バルア先生が何度も水の大切さを強調されていたのが印象的だった。私は医学部の大学祭で途上国の健康問題について調べたことがあり、水の不衛生が健康を損なう大きな要因である、というのが一つの結論であったことを話を聞きながら思い出した。私が以前住んでいた瀬戸内海気候では雨が少なく、そのため夜間断水を経験したことがあったが、夜に水道が使えないというだけで非常に不便だったのを覚えている。

先生が日本でアルバイトをしながら大学を探していた若き頃のスライドでは、先生の今に至る体型の変化を読みとることができた。

 

この講義でバルア先生が伝えたかったことを一言で述べるとすれば、「自分の道は自分で苦労して見つけろ」ということだと思う。

 

2) Tarlacへの移動(バス)

昼食はバスの中でケンタッキーを食べながら、Tlarlacへ移動、3時問で到着した。途中ピナツボ火山による火山灰が降り積もった地域を通った。帰り(8月9日)に教会に立ち寄って分かったことだが、降り積もった灰の量はすさまじい。

Tarlacは「農業中心の、わりと豊かな田舎」とJICAの方がおっしゃっていたが、バスから見る限りはそんな感じの、アジアの地方の街といった印象だった。二期作なのか田植え中の水田が広がり、町の中心部はけっこうにぎやかそうだった。

この日の夕食はホテルのレストランに全員が一度に集結した。大人数に厨房が混乱したのか、注文していない料理が来たり、注文した料理が来なかったりと、おいしく楽しく長い食事であった。 (谷口)

 

 

 

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