日本財団 図書館


―実践報告―

甲州ろうあ太鼓が結成されたのは今から19年前の昭和56年1月。結成当初、誰が今の甲州ろうあ太鼓を想像できたでしょうか。それにはやはり忍耐、努力、継続の三つがうまく融和できた事、これが第一ではないかと思います。そのグループの事から言います。

結成時からの顔ぶれは大方入れ替わりましたが、いずれの時でも常に上を目指し、聞こえなくても健聴者に負けたくないという精神が暗黙の内にメンバー一人一人の心に根付いていました。ですから年間を通して毎週1回の練習を欠かした事はありません。必要に応じて週2回の練習もありますが平均してみると2回行う方が多いです。年に1、2回は師と仰ぐ先生方の指導を受けていますが、それ以外はほとんどメンバーどうしで教えあっています。メンバーの内には健聴者もいますが、その健聴者にもろう者が指導しています。障害者というといろいろな面でどうしても受け身の側になりがちですが太鼓に関しては全く逆転して地域の方々に機会があるごとに太鼓を指導しています。今年の3月には、短大生に教えて県立の施設で共演しました。またこの大会が終わると、地元の中学生に8月末迄太鼓の指導が始まります。これは秋に開催される学園祭に太鼓を演奏したいので、と学校より要請されたものです。このように指導する側に立つと責任感や気の配り方など様々な事を学習できる機会にもなります。

健聴者でも経験できない特殊な分野で、しかも教える側にいる。その事が自信と誇りに繋がり、臆することなく堂々としています。そして思ってもいなかった日本の伝統芸能を伝承する一翼をになえる事も嬉しい事です。

次に運営に関わる事ですが、私達のグループは自主的に創ったグループですから、公的な運営費や助成金は全くありません。すべて自主財源で賄っていかなければなりません。それで結成した翌年から始めたのが有価資源回収として古新聞、ダンボール等の回収作業です。幸いな事に地域住民や学校の協力を得て毎月作業を行ってきました。これによって得られた成果としては、まず、自分達の事は自ら汗を流す事、他人の好意のみにすがらず体を動かして自分達の手で運営費を捻出する事が大切。また生徒や協力して下さっている方々にはボランティア活動の啓蒙、啓発のきっかけ作りの場になったと思っています。古新回収は市況が低迷しており運営費の捻出にはそぐわなくなってしまい、現在はアルミの空き缶を回収しています。

演奏会場に於いての成果といいますと、行政、民間、福祉、教育等あらゆるところから年間30件以上の要請がありますが、メンバーの都合により応じきれないのが心苦しく思われます。そんな中で訪れた会場で演奏が終わると大きな拍手と感嘆・ざわめきが会場一杯に拡がります。初めて私達の太鼓を聞く人達は、ある種の先入観を持っているようです。「障害者のする事だから大したものではないだろう。」「耳の聞こえない人達にどうして太鼓が…?」とほとんどの人達がこのような思いを持って聞いています。しかし実際演奏が始まると、その先入観が払拭されるのでしょう。それまでの会場のざわめきがピタッ!と止み、ステージに釘付けとなる、演奏が終わると拍手と感嘆の声で会場が埋まります。なかには握手を求めてくる人、「スゴイッ! 凄い! ハンディキャップのある人達にこれだけの事ができるんだから五体満足な私達はもっと頑張らなくては。」「皆さんの一糸乱れぬ演奏に感動し励まされました。」の声が。

また近年、学校からの福祉教育の一環としての演奏依頼が多くなっています。生徒達には太鼓の演奏とろう者の聞こえない為に発生する様々な話を織り混ぜながら行っています。子ども達の目にもやはり耳が聞こえないのに、どうして太鼓が打てるのかと大きな感心を寄せられてているところです。

後日、子ども達の感想文が送られてきますが、「途中で投げ出す事なく辛抱強く続け、努力すれば目的を達成できることを学んだ。」「手話を覚えてろう者の役に立ちたい。」等と嬉しい感想文がたくさん寄せられます。このように受け留めてもらえた事は私たち自身にとっても、やって良かったと充実感に浸る事ができます。以上のように太鼓を核にして私達と周辺に及ぼした波及効果は大きなものと思われます。

また、あらゆる障害を持つ者達が、太鼓という楽器を通して一つになれる機会というのはなかなかありません。この大会は私達にとって、とても楽しみで有意義な時間です。是非これからもこのような機会を続けていただきたいと願っています。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION