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藤沢市民オペラ「ラ・ボエーム」プログラム

 事業名 藤沢市民オペラ「ラ・ボエーム」の上演
 団体名 藤沢市芸術文化振興財団 注目度注目度4


青春伝説「ラ・ボエーム」はこうして生まれた

◆ボヘミアン、グリゼットたちの恋物語

 

鹿島茂

 

「ラ・ボエーム」あるいは「ボヘミアン」という言葉によってあらわされる芸術家たちの自由奔放な青春のイメージは、プッチーニのオペラ『ラ・ボエーム』によって、現在、ほとんど神話の領域にまで高められているが、この神話がパリにおいてどのようにして形成されたのかという問題は案外あやふやなままである。というのも、神話というのは常に己のルーツをかき消そうとする作用をそのうちに含むものだからである。

一般に、「ラ・ボエーム」という言葉が使われるようになったのは王政復古の末期、とりわけ1828年から1830年にかけてのことだと言われている。

ナポレオンの時代が終わり、軍歴よりも学歴が重視されるような社会が生まれたとき、地方からパリの大学をめざしてたくさんの中産階級の若者がいっせいに押し寄せてきたが、これらの学生のなかには、法学や医学といった堅実な学問を放棄し、詩人や劇作家、あるいは画家や音楽家になることを夢見て、自由気ままな暮らしを選ぶ者もいた。これが現象としての「ラ・ボエーム」の始まりである。アンシャン・レジームでは、芸術家や詩人は、王侯貴族の保護がなければ生活できなかったが、いまや、運さえあれば自らの実力だけで道を切り開いてゆくことが可能になったのである。彼らは、明日の栄光だけをたよりに極暑極寒の屋根裏部屋で今日の貧困に耐えていた。

 

「ボヘミアン」の誕生

1808年生まれのジェラール・ド・ネルヴァルと1811年生まれのテオフィル・ゴーチェは、こうしたドロップ・アウト組の詩人と画家の典型だった。彼らは同じような仲間たちと、彫刻家ジュアン・デュセニュールのアトリエに集まり、議論を交わしたり、パンチ酒を酌み交わしては、金銭と道徳の支配するブルジョワ社会を呪い、芸術と詩にたいして忠誠を誓いあった。「ジューヌ・フランス(若きフランス派)」というのが彼らのセナークル(結社)の名前だった。その一人フィロテ・オネディーは仲間の様子を次のように描いている。

みんな心では立派に芸術家の若者たちが20人

唇にはパイプか葉巻をくわえ、嘲るような目付きで

革命派のフリジア帽をあみだにかぶり、

「ジューヌ・フランス」風のあごひげをはやし、

乱痴気騒ぎの衣装を着て

使い古されて穴のあいたダマスク織のカバーの

クッションの山の上にトルコのパシャのように寝そべっている。

彼らは、ブルジョワたちを顰蹙させると称して燭腰の中にたたえたパンチ酒をあおったり、競って風変わりな恰好に身をやつしたりして、屋根裏部屋やカフェで馬鹿騒ぎを繰り返した。ようするに、彼らは、ユゴーやヴィニーなどの一流の文学者と違って、芸術においてではなく、もっぱら生活においてロマン派だったのである。

 

 

 

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更新日: 2021年10月23日

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