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事例援助と支援システムの確立について

「17歳」問題雑感

宮城県中央児童相談所

只野文基

 

「17歳」に象徴される青年が引き起こす事件の報道は、私たちに強い印象を与えています。学童期や思春期の子どもたちに目を転じれば、小中学生の不登校数は一二万人を越え、学級崩壊が深刻化しているといいます。加えて、多動な子どもたちや「学習障害」の児童生徒についての関心が高まり、ADHD(注意欠陥多動性障害)やLD(学習障害)の診断分類名が広く紹介されています。児童相談所でかかわりを持った児童虐待事例数が急激に増加しており、児童が死亡するに至る事例の報告が後を絶ちません。このように児童や青年の精神保健にかかわる問題はさまざまな様相を示していて、尽きることがないようにも思えてしまいます。そして多くの社会問題がそうであるように、児童や青年という特定領域の問題としてそれだけで自己完結しません。たとえば被害者支援の分野にかかわることとしては、少年による事件に家族などのかけがえのない人たちが巻き込まれ被害を受けた方たちが、全くといってよいほど社会や法の関心と援助から取り残されてきたという痛ましい事実があります。そして是非はともかくとして、被害者などの心境を汲み少年による凶悪事件を抑止するなどの目的をかかげて、少年法をさらに改訂(主として厳罰化の方向で)すべきだという議論が見られます。児童青年期の精神保健という一領域に限っても、さまざまな問題の広がりと深さを感じさせられ、これからの援助や対応を考えようとするとき、社会のありかたや他の領域の課題と分かちがたく結びついている現実に圧倒されてしまいそうです。

さて、衝撃的な事件や日常生活の「常識」から逸脱している印象を持つ問題に対して、また不登校のように事例数が膨大な数にのぼることに対して、私たちはどのような態度をとる傾向があるのでしょうか。

前者については、「17歳」事例のような容易には理解し難い特殊性や個別性にどうしても目を奪われるため、特殊性を一般化して全体の状況にあてはめてしまうことがあります。「理解し難いもの」からは必然的に不安や恐れが生じます。報道機関の姿勢にも問題があるのでしょう。不安は客観的な判断を妨げる傾向があります。現代の青少年が「だれにも分からない」不可解な存在であり、従来の知識や手法ではとうてい理解できることではないといった感情的な反応が優勢になると、管理的な対抗措置が必要だという主張が出やすくなるでしょう。そこではその主張が全体的な状況の改善や事件の予防に本当に効果的なのかという検討はあいまいにされがちです。そして青少年やその関係者にどのような援助が必要なのかという議論は低調になってしまいがちでしょう。

後者の場合には、事例が増加し一般化したことで「特殊性」を失った結果、ひとりひとりに対応しようとする動機や熱意が失われてしまうことがありうるのではないでしょうか。かつて大人たちは、不登校は「特殊な事態」だと考えていました。適切かどうかは別として、登校を強く強制する対応も含めて、積極的に働きかけなんとかしようという意識が強かったと思います。

 

 

 

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